親に感謝する人の眩しさ

先日仕事で知り合った若い方のお話なのですが、仕事の傍らの世間話の中で、今の仕事が楽しくて仕方がないことと、そんな仕事に就けるように育ててくれた親への感謝について熱く語ってくれました。

そんな姿が、ぼくにはなんだか眩しくて羨ましかったりしました。

ぼくも自分の仕事が土日のスポ少の疲れを癒してくれるくらい好きだったりします。

でも、自分の親への感謝を全力でできるかって聞かれると難しいなと思っています。

もちろん、感謝はしているのですが、ぼくの親はやや古風なところがあり、幼少期の頃はそんな親に好かれたくて「親の望むいい子」を演じていたものの「ちょっと変わった子」と周囲に思われていて、思春期の頃には「クラスのみんなと同じがいい」と反発したり、結局みんなと同じにはしてもらえなくてみんなと違う自分を好きになれなかったり、それが次第に知識をつけていくことで「ああこれが、価値観の違いってやつか」ってわかってきたりしながら大人になっていきました。

そのおかげもあってか、多様な価値観を内包する美術が大好きになったりもしましたし、「価値観はみんな違う」が考え方のデフォルトなので他人を嫌うこともほぼなく暮らせるようになったし、将来の見通しの立てにくい美術の大学に進学させてもらったことにも感謝をしています。

でも、冒頭の若者のように、手放しで「ぼくは親を感謝してます!」と瞳をキラキラさせながら誰かに語ることはできなくて「とっても眩しいなぁ」って思ったのでした。