『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』を見ました。

大阪万博のパビリオンのプロデューサーの中に、マクロスやアクエリオンの監督である河森正治さんの名前があることを知った時「これは往年の名作を見直さなければな!」と思ったんです。

というわけでぼくはこのたび『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』を見ました。

マクロスをマクロスとして認識して初めて見たのは中学時代『マクロス7』でした。

「争いなんてくだらねぇ!俺の歌を聞け!!」と戦場に武器を捨てて楽器ひとつで飛び込んでいく主人公の熱気バサラは、当時中学生だったぼくにはかなりクレイジーな主人公で、なんならちょっとしたギャグのようにも映りました。

それでも、それなりにオタクな道を歩んでいたので、なんとなくマクロスという存在は意識していたものの、『マクロスF』はちょうど仕事やらなんやらが忙しかった頃と重なってしまったためリアルタイムでは追わず、このブログを始めた頃に後から見ました。

その後の『マクロスΔ』はサブスクで見ました。

そしてこんなイラストも描きました。

ううむ、クリスタの練習に描いたんですが、よくかけてるな?

これ読んでくださってる中にはファンの方もいらっしゃることと思うので、今更ながらで恐縮なのですが、一貫してマクロスで描かれてるのって「文化芸術の力が戦争を止める」ってことですよね。

そして、文化芸術の象徴として「アイドル」を持ってくるところがまたすごいです。

でも、天照大神が天岩戸から顔を出すきっかけを作った天鈿女命だっていわばアイドルです。

日本人とアイドルは親和性が高いのかもしれません。

昭和のアイドルの踊りは盆踊りとリンクしてるって聞いたこともあります。

こんな本もありましたね。

キリスト教でも歌は、未来・現在・過去という時の流れに思いを馳せるための装置として機能してると本で読んだことがあります(こっちはソースを忘れてしまいました…)(讃美歌を歌う時、これから聞こえてくる歌に思いを馳せる=未来、聞こえてくる歌声に聞き惚れる=現在、歌が終わった後余韻に浸る=過去、らしいです)。

そういったものを、すごーく上手にアニメというか、オタク文化に落とし込んでるなーと感心せずにはいられないのがマクロスですよね。

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』では、人類と敵対している異星人は人類と戦争をしながらも、種族内で男女の勢力に分かれて殺し合いをしていました。

ラブソングを知らない異星人たちは、1番身近な異文化である異性の気持ちを理解する術がないというわけです。

男女で敵対ってのは「同じ種の中の価値観の違う存在の代表」みたいなもので、今の世界で起きている戦争を思わずにはいられませんでした。

ヴァルキリーっていうかっこいい戦闘機で最初は激しいドンパチするものの、ラストは強大な力で相手を殲滅してしまうのではなく、文化芸術の力で敵とわかりあう、それがマクロスで、そんなSFが今また必要なのかもしれませんね。

今週のお題「SFといえば」