隙があれば行くんですね。
で、何やってるかっていうと、なにより楽しいのが内装チェックですね。
独断と偏見ですが、カフェのインテリアへのこだわりと、ラーメン屋の壁に掲げてあるポエムって同じモノだなーって思うんです。お店側からの直接的ではないメッセージ。「読み取れ」的な。
人間は文化を持った生き物なので、飢えを逃れるためだけに食事をするのはやっぱもったいないと思うんです。まして、ぼくくらいの歳になってくると1日に食べられる量なんて限られてくるので、ムダ打ちといくかムダ食いなんかしたくないわけです。
てな感じで、店側からのメッセージを楽しみながらの食事が楽しいです。「デザイナーズチェアに力入れてます」とか「北欧の食器が好きです」みたいな。
ところで、昔パリのカフェではお金のない人たちがコーヒー一杯で何時間でもいることのできる場所として使われていたそーです(それを店主も許していて、というか歓迎していて)。なもんだから、貧乏な若いアーティストはカフェには集まり、そこから新しい芸術が生まれたりしてた、なんて聞いてるとワクワクするよーな歴史と機能がカフェにはあるんですね。ピカソとか、モディリアーニとか語る上でカフェは切ってもきれない。映画「モディリアーニ」では、カフェで芸術家たちが派手に喧嘩するシーンもあったり。熱い。
そんなわけで、芸術とカフェはよく似合う。
今では見ず知らずの人同士が突然カフェで互いの芸術論を戦わせる、なんてことはないかもしれませんが、カフェでラップトップから世界に向けて思想信条を発信するなんてのは、今風にカスタマイズされた昔ながらのカフェの使い方なのかな?なんて思ったりするのでした。
というドヤリング擁護論でした。