下書きに書きっぱなしで話題の膨らまなかった話を繋いだ短編集的記事です

今日の記事、うっかり2回投稿しちゃってたみたいで片方消しました。そちらにスターつけてくださった方ごめんなさい。

手の怪我

毎週土日は、上の子2人のスポ少がたいてい一日ある関係で、奥さんも出ずっぱりになるしで、ぼくは下の子の守りをしながら家のことをしたり、じじばばに預けて休日出勤をしたりしながら過ごしています。

YouTubeに守りをお願いして家中の掃除をしたりすることもあります。

風呂を隅々まで磨いてみたり、換気扇の掃除をしてみたり。

いい感じに時間が潰せて、家もきれいになるのでとってもいいなと思ってるんですが、最近、うっかり手を怪我することが増えたなーって思います。

昔は、絵筆を持つのに違和感を感じるので、右手の怪我には細心の注意を払ってました。

ちょっと気取ったところもあったと思うんですが、手を怪我しそうな、例えば球技とかレクリエーション的なものも「いやちょっと、手を怪我したくないので」とか言ってみたりしてやんわり断ってた頃もありました。

嫌なやつですね。

でも、ぼくはそーいうキャラです。

それなのに、なんか最近そーいう注意も散漫になっちゃったなぁて思いながら、先日も子どもらが学校からもらって帰ったプリントの束を縛りながら切ってしまった右手に絆創膏を貼りました。

カフェ巡り

「気取ってた」といえば、20代の頃、ぼくは県内のカフェを巡るのが好きでした。

同年代やちょと後輩にも「今度あの辺りに行くんだけど近くでおすすめのカフェある?」とか聞かれたりするくらいでした。

時期的に、カフェブームもあったと思うんですが、個人的にはカフェに集まって喧々諤々と議論を交わすエコール・ド・パリの作家たちに対する憧れもありました。

エコール・ド・パリってのは、若い頃のピカソとか、モディリアーニとか、藤田嗣治とかって作家が有名です。

ぼくの大好きな映画の1つである『ミッドナイト・イン・パリ』てのを見ていただけると、イメージが伝わるかと思います。

ミッドナイト・イン・パリ(吹替版)

ミッドナイト・イン・パリ(吹替版)

  • オーウェン・ウィルソン
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よく見たらこのジャケット、パリが舞台なのに背景はゴッホの「星月夜」がオマージュで、ゴッホは後期印象派の画家で星月夜はサン=レミ=ド=プロヴァンスの景色のはずですがどう関連するんでしたっけ?フランスつながり?まあいいか。

子どもが長男1人だった頃くらいまでは「子ども椅子があるカフェは行ってもいいよねー」みたいな感じでよくカフェ行ってたんですが、2人目が自分の思い通りにならないとどこでも吠えるように泣く性格で(同じ環境で同じ親が育ててるのに不思議ですよね、ほんと)、以来ぱったりとカフェに行かなくなってしまい、気がついたらぼくの中にある地元カフェマップも随分と古くなってしまいました。アップデートしてないカーナビみたいです。

子どもらがもうちょっと大きくなって、親より恋人とカフェに行くようになったら、ぼくもまたカフェ巡りがしたいなーってのが、今のぼくの夢の1つです。

地図を眺める

カーナビでお出かけといえば、車の免許を取ったときに「これでどこにでも行けるんだ!」という高揚感を感じたのはぼくだけじゃないと思います。

カーナビどころか、CDも再生できない中古車で公道デビューしたぼくは、すかさず地図を買って「この道とこの道はこう繋がってるのか…!」みたいな、そういうのを眺めるのが趣味になりました。

そして、地図通りに道がなってるかどうかを確認するように車を走らせ、景色を楽しみ、疲れたら目に留まったコンビニやスーパーの駐車場に停まってドリンク買って、目的地のないドライブを楽しみました。

最近、ドライブしてないなーと思ったんです。

一昨年、ミニバンを買いました。

ミニバンは、家族で移動するにはとっても便利な車ですね。

でもなんか、ぼくにとっては「移動」の車なんですよね。

ドライブのためのセカンドカーが欲しいなあ…なんて、最近そんなことをぼんやり考えています。

地方では車は一人一台で、ウチにもセカンドカー的な軽が一台あるんですが、気がついたら12年選手なんですよねぇ。

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昔から描いてるHAMEHAさんのキャラを、今っぽくしてみるシリーズ