セブンカフェはデザインリテラシーが試されるってことか?

朝コーヒーを飲みながらニュースサイトだらだら眺めていたら、今年の正月くらいに話題になってたことがまた取り上げられていました。

【セブンカフェ】テプラに負けた佐藤可士和のデザイン

4knn.tv

今年はオリンピックの話題以降「デザイン業界ってなんか胡散臭くない?」 という世の空気を感ますねー、怖いです。あ、でもポジティブに見れば「デザインについてもっと真剣に考えよう」という風潮が出てきたのかもしれないですね。それなら良いな。

セブンカフェの、Regularの「R」と、Largeの「L」が、ごっちゃになっちゃう問題は「日本人の学力低下問題」として扱われることもあれば「かっこよさを追求するあまり分かりにくくなるデザイン問題」として扱われることもありますね。

「学力とデザイン力」の問題ってことで言えば、昔読んだ本でこんな話を目にしたことがあります。

ヨーロッパの小学校では、図工の授業で絵を描いてた子が、図工の授業が終わって次の国語の授業が始まったのに絵の続きを描いてたとしても「この子にとってはこの絵を完成させることがいま大切なことだ。」と意思を尊重し許されるそうなんです。だから、ヨーロッパはアートのリテラシーが高い、と。

本の学校では許されないですね。ぼくみたいな、どの授業でも落書きしてた思い出がる人間にはとてもうらやましいことです。

ただし「国語の時間に絵を描くことを選んだあなたの意思を尊重しますが、それで国語がわからなくなることはあなたの自己責任」という思想もセットで、それはつまり「将来国語ができなくて仕事がなくても自己責任」なんです。

いい本だなー、と思ったんですが、なんの本だったかな?思い出せないぜ!!

とにかく、子どもが将来ちゃんと仕事ができるようになるかの責任を「大人の責任」にして、アートとかよく分からないふわふわしたものにうつつを抜かすことなく、働くために必要なスキルをしっかり身につけさすことで、一昔前によく海外の映画やドラマに出てきた「身なりはダサいけど真面目で金持ちな日本人」が誕生してたってわけですね。

そんな真面目な日本人の憩いのサロンであるコンビニに、あんなおしゃれなコーヒーマシンが出てきたら、そりゃ丁寧な説明がたくさん付いちゃうのも道理です。

ただ、水墨画とか茶室とか枯山水とか、最小限の要素で無限を表現するのが日本の美意識だったじゃないですか。みんなが大好きなiPhoneつくったスティーブ・ジョブズ氏だって禅の思想にどっぷりハマった人ですよね。日本の美意識は高度経済成長とその後バブルと一緒に弾けちゃったのでしょうか?

ぼくはこの、セブンカフェにテプラ貼っちゃう問題は、バラエティ番組に過剰にテロップが流れる状態に似てるな、って思うんです。必要以上に過保護に情報を与えてやっと状況が理解できるってのにみんな慣れちゃってるんだ、と。

だからみんな、もっと空を見上げて「あの雲、恐竜に見えるな!」とか、電線にとまっているスズメたちを見て、「やぁ、スズ子ちゃん。今日も綺麗だね!」「やだわスズ男さんたら!」とか、そういう見えないものを妄想して、想像力マッチョになる必要があるんじゃないかなーって思います。