8月も終わりが見えてきて、今年はなんだか夏休みの宿題について考えることが多かったので、今日は自分の宿題の思い出について書いてみようと思います。
小学校のころ、ぼくはわりと「良い子」で通っていたので、ドリルみたいな宿題はさっさと済ませて「できる人はやってみよう!」系の宿題も全部やっちゃう子どもでした(しかもラジオ体操が終わってから、午前中やってた再放送のアニメが始まる前の時間で計画的に!)。
しかし、中学生に上がった頃に中二病を患い「親や先生の機嫌をとって勉強しても将来何の意味があるんだろう?」と本気で悩んでしまったことをきっかけに勉強ができなくなってしまったことはこのブログでも過去に何度か書いたことがある通りです。
そんなわけで中学時代の夏休みの宿題は全然やる気になれませんでした。
しかし、小学生の頃に刷り込まれた「良い子」ってのはなかなか払拭できないもので「やらなきゃいけないことが終わってない」ってのは気持ちが悪かったのです。
そこでぼくは、アレコレと知恵を働かせました。
まず、5教科のドリル的な問題集ですが、ぼくは比較的国語は得意だったので、国語は自力で終わらせました。
そして身近な友人数人に「オレ国語終わったから見せてやれるぜ!代わりに国語以外どれか見せてくれ!」と聞いて回りました。
すると中には「おれ数学はとりあえず終わらせてる」みたいなやつがいたりして、そうなると「交渉成立」です。
ぼくの持ち札は国語と数学になるわけです。
これをあと2、3回繰り返せばドリルは完成です。
後半になるとぼくは全教科揃ってしまっててタダで見せてやることもありましたが、それはそれで「貸し1」としていました。
次に読書感想文ですが、ぼくは中学の3年間同じ内容の感想文を提出しました。1年の時に書いて提出して帰ってきたものを、2、3年は写経しただけで済ませました。十五少年漂流記でした。
英語の宿題で「英単語をノート一冊びっしり埋めて提出」というものがあったのですが、使うノートのページ数が定められていないことに着目したぼくは、なるべく薄いノートを探して文房具屋を探して回ったのですが、途中で「自分でページを減らせばいいんじゃん!」って思いついて、家にあった大学ノートを何ページか抜いて、明らかに他の人より薄いノートを提出しました。
…とまあ、あれこれと策を弄したわけですが、提出した夏休みの宿題について一度も先生に咎められたことはありませんでした。
気づいていたのかもしれませんし、気づいてなかったのかもしれません。
大人になった今思えば、9月にあれだけ膨大な量の宿題をきっちり点検するのは先生たちも至難の業だと思うんですよね。普通に授業はやってるし、文化祭や運動会の準備と重なる時期でしたし、冷静に考えて無理でしょう。
「そんな、ただ埋めて提出するだけなんて何の身にもならないのでは?」っ思われるかもしれませんが実はそんなこともなく、ぼくはこーいう経験が、今でもなるべく低燃費で仕事を回す思考とスキルの元になったと思っています。
良いか悪いかはひとまず置いといて、ぼくは仕事で上から結構な無理難題が降ってきても「理不尽じゃないか!こんなの無理だ!」って噛み付くのではなく「どうやったらなるべく苦しくなく、かつ納得してもらえる結果を出せるか」を考えます。
「少々の負担は仕方ないかな」と思う一方で「でも100点満点は期待しないでね」ってスタンスです。
今、ミドルリーダー的立ち位置で、チーム内で仕事をシェアしてるのも、ドリルをシェアしてたあの頃となんかイメージが被ります。
サラリーマンって「とりあえず形になってれば良い」って仕事も多いですよね。
おかげで特に仕事を辛いと感じることもなく、それでいてそこそこ実績を評価してもらってて、これはやっぱ、あの中学時代の夏休みの宿題でも養った力ではないかなって振り返るのでした。
でも、良い子のみんなは真似しちゃダメだぞ⭐︎