電通の家宅捜索ニュースをぼんやり眺めながら思うこと

最近何かと話題になっている電通の新入社員の自殺事件ですが、先日強制家宅捜索が入ったとニュースになっていましたね。

自殺のニュースが報じられた時「東大まで卒業し、あんなに美人で(写真も報道に掲載されてたので)、人生これからって人なのに、なんて悲しいことなんだろう」と、とても辛い気持ちになりました。

こんなことがもう起きないように、重い処罰がなされて、業務が改善されればいいなと願う反面、「多分無理だろうな」ともうっすら思ってしまいます。

電通って、誰でも知ってる広告や企画運営の世界的大企業ですよね。日本中のいろんな企業団体が開催するイベントや打ち出すPRで「電通」ってクレジットを目にします。

でも、一度重い処罰が下されてしまったら、電通に頼みにくくなります。「あの電通と仲良くしちゃってる」ってイメージを持たれるのは、できれば避けたいはずです。そしたら、東京オリンピックなんかも控え、資源が少なく、観光やコンテンツ産業で世界にPRしたい日本にとっては、そのクオリティを保つ手段を減らす大きな痛手になるはずです。そして同じ業界の別企業は、一斉に事業を縮小しなければならなくなるんじゃないでしょうか。

と、考えると、罰金とか厳重注意とか、ひょっとしたら結末は「トランプ大統領誕生」の話題でうやむやになっちゃうんじゃないか?なんて邪推もしてしまいます。

これは根が深いような気がします。

それから、海外旅行者に対して魅力的なコンテンツが減るってことは、ぼくら日本人にとっても、休日あんなに選択肢のあった遊びに行く先が減るかしょぼくなるかってことでもありますね。

多分、ぼくらは耐えられないんじゃないかと思います。

「あのイベント、クオリティが下がった。クソだ」という文句がネット中に広まる気がします。話を広げれば、お腹が空いたらいつでも食べるものを買いに行けて、停電することもなく、公共交通機関がほぼ時間通り運行される、サービス過剰な「おもてなしの国」全体の問題な気さえしてきます。

なので電通だけが悪いんじゃなくて、なんかもっと、一人ひとりの意識とか感覚の問題な気がして、その途方のなさに、またどんよりした気持ちになったりしてる今日この頃です。

仕方がないので、ぼくのどんよりとした気持ちは熱燗と一緒に流し込んで、どうしたらみんな幸せになれるか考えてみます。

よくわかりませんが、どこかに行って、大きなイベントに参加しなくても、家で絵を描いたり本を読んだり、森を散歩して幸せを感じられる人が一人でも増えたら、もっと住みやすい国になるんじゃないかな?なんて思ったり。どうでしょう?ま、観光も好きですけどね。