「アレ」について

ぼくが「アレ」と出会ったのは、小学校4年生の時の友達Sくん宅のテレビの画面ででした。

右に並んだ主人公たちが、剣を振ったり魔法を使ったりするのをみて「すげぇ!動いてる!!かっこええ!!!」って思って、翌年のお年玉で自分も買いました。

その年の初夢は、お年玉を握りしめて「アレ」を買いに行くって内容でした。

「アレ」きっかけで、ゲーム雑誌を買うようになったのですが、その直後くらいに新作がスーファミで発売されると報じられ、発売日と自分の誕生日が近いことを知りました。

当時スーファミを持っていなかったぼくは、親に頼み込んで、ハードと共に11歳の誕生日に「アレ」の新作を手に入れました。

すでにお絵描きが大好きだったりと少年は「アレ」の影響で天野善孝氏の絵に心酔してしまい、儚く繊細な線と、ただの雑な線を勘違いしてしまって以後数年に渡り苦労することになりました。

その後も「アレ」の新作が出るたび物語の世界にどっぷりと浸かりました。

ぼくが今でも、小説のように物語のあるゲームばかりやっているのは、この時の影響だと思います。

中学3年の時に事件が起きました。

てっきり任天堂の新しいハードで出るのだと思っていた「アレ」の新作がプレステで出ると言うのです。

しかも、主人公たちのデザインが、天野氏の耽美でどこか色気のあるものから、少年漫画のようなイラストに変わってしまっていたのです。

世界観も、それまで大好きだった中世ヨーロッパ風でありながらどこか未来感を感じさせるものから、サイバーパンク風の完全近未来になってしまっていて、ぼくは大いに戸惑いました。

大好きだったものを突然取り上げられてしまったような気がしました。

でも、ずっと夢中になって遊んできた「アレ」の新作だったので、悩んだ末プレステと共に買いました。

結局、哲学的かつ社会風刺を効かせた物語は、10代後半という不安定なお年頃の心にまんまと刺さりまくりました。

そしてびっくりしたのが、クラスのイケてる人たち何人かが、NIKEのAIR MAXやG- SHOCKと同じように「アレ」について語っていたのです。

「ぼくが好きだったものが、広く一般的なものになったんだな」と思うとなんだか勝手に誇らしく思えたりもしました。

そして部活の先輩にDISC1のラストに待っている衝撃的なエピソードをバラされてしまい「この世にはネタバレという重い罪がある」ことを知りました。

何度かブログに書いてるのですが、就職して結婚して子供が産まれた頃、ぼくは本当に生活が忙しくていっさいのオタクカルチャーから離れていたのですが、何か毎日が虚しくなってしまって鬱々として心が渇いていた頃に、職場のオタクな同僚から「アレ」の新作がPS4で出るらしいですね。7のリメイクも出るらしいですよ。と聞いて10代の頃のようなワクワクソワソワを思い出し、心に泉が湧いたような気になり、その後このブログを始めるきっかけの一端にもなったりしています。

先日、「アレ」の7のリバースが出て、気にしないようにしてるんですがやっぱり気になってます。

今はまた生活が慌ただしく、また出ていくお金も多くてPS5も買えずにいるのですが、色々落ち着いてきたらまたやろうと思っています。

それまで皆様、このブログでは「アレ」についてはタブーでお願いしますね。