珈琲を淹れる時間は瞑想に似てる

ぼくはすごいマニアってわけではないのですが、コーヒー豆は挽かずに購入し、飲む時に飲む量だけ挽いて淹れるようにしています。

一応計量カップでお湯を測ったりとか、一定のマニュアルに沿ってだいたい同じものができるようには心がけてはいるのですが、詰めが甘いというか所詮は素人があれこれしながら日常の合間にやることなので、今日はうまくいったなぁ〜とか、今日はお湯多過ぎたわ、とかあるわけです。

大前提、考え事とか他のこととマルチタスクしながら淹れたコーヒーはそんなにおいしくないです。いま、ここに集中。大事だなと思います。

たまに「今日はめっちゃ上手にできたなぁ!」なんて日もあったりして、そういう日はもうそれだけで「今日はいい日だな」って思うんです。

たまに思うんですけどね、幼少期の頃は、自分の親が周りの親より厳しくて悩んでました(今振り返ってもやっぱ厳しかったなと思います)。

10代は思春期で悩んでたし、20代は就活で悩みました。30代は仕事と家庭と趣味の両立で悩んで、40代は財政難で悩んでます。

人生は悩むのがデフォルトで、そんな中で小さな「良かったなぁ」をいくつ見つけられるかが、人生がいいものになるかどうかの分水嶺なんだろうなと思います。