東京に行く便があったので、時間の許す限り美術館に行ってきました。
時間があればもっとあちこち行きたいのですが、田舎モンのぼくにとって東京の「ざっくり美術館地図」は「ファインアートを楽しみたいなら上野」「現代アートを楽しみたいなら六本木」となっています。
と言うことで今日は、国立西洋美術館と国立新美術館に行った話を書こうと思います。
国立西洋美術館の「松方コレクション展」
最近ふと気づいたのですが、若い頃より印象派絵画を楽しめるようになった気がしています。
冷静に自分の心を見つめてみると、日本人の「西洋美術最高!印象派最高!!」みたいな感じに対して無意識に拒絶反応を示していたのかもしれません。(嫌ってたわけではないのですが…)
そういう、つっぱった気持ちに対しやっと大人になれた気がして、以前より「すげーよ西洋美術!」と素直に思えるようになった気がします。
そんな西洋美術を日本に広めた立役者の1人である松方さんのコレクションが一挙公開されるということで行ってまいりました。
松方幸次郎さんって、当時の川崎重工の社長さんなんですよね。
大正時代の頃に「一般の人が西洋美術を楽しむ場所がないのは由々しき事態だ!」って私財で西洋美術を買いまくり「共楽美術館」なる、美術館の構想を練りながらも会社が傾き、集めた美術品を泣く泣く手放したりした波乱の人生を送った人で、アート小説の大家である、浜田マハさんの新作も松方さんの物語なので、早く読まなければと思っているところです。
すごかったのは言わずもがななのですが、最近のアート界のホットニュースに引きつけると、松方さんの「みんなで共に楽しみましょう!」という「共楽美術館構想」が叶わなかったことが惜しまれるなぁ…なんて思います。
ぼくは「アートは見る人がそれぞれ自由に感じ取ればいいもの」って思うんですよ。
で、感じ取り方が人によって違うことに気が付いて「人間って十人十色だね」って改めて気づくことのできる機会になれば良いと思うんです。
でも、この「自由に感じましょう!」という考えを人に押し付けた瞬間にその人の「自由に感じる」という行為に制限をかけちゃうことになるわけで、ぼくの考え方は矛盾を孕んでるんです。
すごく難しいですが、アート作品を批判することはあっても、人格を攻撃するようなことが起きてはダメだと思うんです。
人格といえば、人としてろくでもない芸術家や芸術作品なんて、歴史を見ればたくさんありますよね。
ロダンさんなんて弟子の女の子をつまみ食いしちゃってて、奥さんとその女の子の間で揺れる気持ちが彼の作品をさらに素晴らしいものにしてしまったという業の深い芸術家さんですよね。
ブールデルさん、弟子だった説と弟子でなかった説があるみたいですね。
ロダンに対し「芸術家としてはすごいと思うけど、人として尊敬できない!」なんて思いがあったのかな?なんて勝手に想像してます。(勝手に、ですよ!)
国立新美術館の「ウィーン・モダン展」
もう会期は終了してしまいましたが、国立新美術館の「ウィーン・モダン展」にも行ってきました。
目的はクリムトさんです。
「人格」といえば、クリムトもすごいですよね。
「クリムトに描いてもらいたいヌードモデルさんたちが、いつも彼の家の中を素っ裸で歩き回っていて、そんな彼女たちをクリムトはちょいちょいつまみ食いしてた」なんてエピソードがありますよね。
愛について、ロダンは悩みまくってましたが、クリムトはパリピな感じでそのギャップがまた面白いです。
「モラルとは!?」と問いたくなります。
ただ、そんなクリムトさんなのに、本命は1人だったりとかして、そこが人気の秘訣だったり、そもそも生き方全てが、既存の凝り固まった、戦争に一直線に進もうとしている当時の世の中の「常識」や「正義」に対する抵抗のようにも感じられるんですよね。
そんな自由奔放な芸術家の姿に、真似できないからこそ、ときに裏返しで嫌悪感を抱きながらも、憧れてしまうのかもしれません。
「ウィーン・モダン展」は今は大阪の国立国際美術館に行ってますね!
面白かったなぁ
あと、国立新美術館といえば、椅子ですね!
やっぱ美術館は良いなぁ〜