前回までやっていた「ぼくの線画を一緒に塗りませんか企画」が無事閉幕いたしました。
そして祭りの後の寂しさを感じていた矢先、シィータソルト (id:shixi-tasolt)さんも塗り絵用の線画を提供されてらしたので、ウキウキしながら手を挙げさせていただきました。
というわけで、ぼくが塗った作品がこちらです!
モデルとなっているのは、シィータソルトさんの描かれる小説『bless you!!』のツンデレ天使キャラクターの凛ちゃんとのことです!
「うむ、ぼくらしく塗れたな!」と満足の出来でございます。
シィータソルトさんとこの塗り絵企画は今月24日まで募集されているそうです!
さてさて、こうやって塗り絵企画なんかを開催いたしますと線画が同じなだけに「本当に色んな塗り方があるもんだな〜」と改めて思わされます。
ぼくは、小学生時代のある2つの出来事を思い出しました。
1つ目は、2年生の時の出来事です。
遠足で工場見学に行ったんですが、その後「見学で見たものを絵に描こう」って授業がありました。
制作中、ぼくはクレヨンで塗った部分をティッシュで擦りました。
詳しい経緯は覚えていないのですが、塗り間違えた色を落とそうとしたんだと思います。
そしたら、別の色と紙の上で混ざって、とてもキレイで淡い色味ができたんですね。
嬉しくなって、ぼくは画面全体をティッシュで擦ったんです。
そしたら、担任の先生に激しく叱られました。
正確な言い回しは覚えてないのですが「そんな塗り方は教えてないのに何を勝手なことをしてるの!」って旨だったと記憶してます。
2つ目は、3年生の図工で絵の具を使うようになった時です。
「色を混ぜずに塗ってはいけません。」
「でも、混ぜるときに使う色は3色までです。」
と教わりました。
この2つの出来事にぼくは当時、すごく自由を制限された気持ちになりました。
大人になった今では、先生の言い分も理解できるんですよ。
小学校の先生は、できる範囲で努力されてたこととは思いますが、美術の専門的なところまで勉強する間もないまま、一般的な用具の使い方を頭に叩き込んで子どもたちに教えていたんだと思います。
むしろ「あんなに広く深く教えないといけないなんて、小学校の先生の大変さたるや…!」と思います。
とくに2年の時の担任の先生は、ぼくらの担任を終えたあと休職され、2年後に別人のように丸くなって帰ってこられました。
別の先生にいちど「◯◯先生どうして休んでるんですか?」と聞いたら「空気のキレイなところで体を治してる」と教えてくれたこがあったので、今思えば心の病系だったのかな?と思います。
ホントすげーおこられました。
ぼくの真似してティッシュで擦った隣の席の女の子もすげーおこられました。巻き添えごめんね。
「◯◯先生が別人のように優しくなって驚いた」という作文を5年生のときに国語の授業かなにかで書いたこともありました。無邪気だ…。
大人になっても絵を描くことを続けてると、絵の表現ってのはどこまでも自由なんだと思わされます。
今回話題にした2つの教えなんて「表現方法の一種」であって鉄のオキテじゃなかったわけです。
今回の塗り絵企画みたいに「同じ線画なのに塗る方によってこんなにもいろんな作品になるんだ!」ってのを目の当たりにすると、さらにその思いが強くなります。
絵を描くって楽しい!
表現って楽しい!
でも、今年はちょっと世間的に「表現」が「不自由」になった年だったなって思います。
残念だなって思います。
ただ、ウチの子どもたちの図工作品を見ると、ぼくらの頃より「自由に表現しよう!」って色が強いようには感じます。
それは良いことなのですが「自由すぎてどう教えたらいいのかわからん!」って先生方の声も聞こえてきそうです。
そりゃそうですよね。
今の小学校の先生は、英語に、プログラミング思考に、食事の重要性にと教えるものが増えてて、さらにがっつり地域に開けながらセキュリティにも配慮しなきゃいけない…。
…お気の毒に…。
そりゃストレスで同僚にカレー食わすわなってうっかり思いかけてしまいますが、あれは人としてやっちゃいかんことですし、何より子どもからカレー取りあげたらかわいそうすぎる!
というわけで、せめて「楽しそうに生きてる姿を親が見せてやらないとな!」なんて思い、酔ってへべれけになりながら「いいか?学校帰りに旗当番で立ってくれてる友達のお母さんに、ちゃんと元気にごっつぁんです!って挨拶しろよ!」なんて子どもに語ってるぼくです。
とにかく色塗りは楽しいです!