ぼくの言う「時間がない」という「錯覚」について思うこと

12月も気がついたら中頃に差し掛かってきました。

ぼくはありがたいことに、正月休みがきちっと暦通りにあるお仕事なのですが、きちっとあるがゆえに12月は年末年始に1週間ほど休むことを見越して諸々繰り上げて仕事が舞い込んでくるので、気持ち慌ただしく働いているような気がします。

加えて「忘年会シーズン」という謎の飲み会ラッシュもあったりで、なんか微妙に忙しかったりしています。

普段から「アニメ見たいな~」とか「映画見たいな~」とか「そういえば庭のレンガ敷きも途中だな~」なんていろんなやりたいことをぼんやり考えているわけですが、殊更年末は「時間がないな~」って思いがちです。

この「時間がない」なんですが、ぼくの場合、振り返ってみるとなんのことはない、自分の時間のかなりの割合を絵を描くために使ってるからなんですよね。

そーなんですよ。

絵を描くのやめちゃうとか、もしくはもうちょっと使ってる時間を減らせば、ぼくはもっといろんなことができるようになるんです。

でも、なんかやっぱ、どうにもそういうのはできないんですよね。

「昔っから絵ばっかり描いてた」って話は過去に何度か記事にしたことがあって、時には「その時間を資格試験とか別のことに使えばもっと有意義な人生を送れたろうに」なんて匿名のコメントをもらったこともあって「おっしゃる通り!」と思いながらもやっぱりやめられないんですよ。

だって、表現するって楽しいじゃないですか。

あ、これ前回記事でも使ったフレーズですね。

ぼくは「絵で成功したい」とかそんな欲求は薄いみたいで、ただ自分が満足したいんです。

「うわ!これめっちゃ綺麗に描けた!」みたいな。

そういう時に幸福ホルモンがドバーッと出て、さらにネットなんていう情報発信のツールを手に入れてしまったもんですから、「ねーねーこんなの描けたんですよー!」って声をあげたら評価してもらったり、交流ができちゃったり、それでかなり幸せです。

ぼく、アナログでも絵を描いてるってたまに言ってるじゃないですか。

これが全然評価されないんですよ。

びっくりするくらいです。

「師」と仰いでいる人もいて、絵を見てもらってたんですが、これがもうコテンパンに言われるんです。

その人は遠くに引っ越してしまったので、ここ数年は誰にも師事してなくて、ぼくも子どもが3人とかになってくると「誰か新しい師匠を」みたいなこともしにくくて「子どもが手から離れたらまた誰かに教わろうかな?」なんてぼんやり思いつつも、一番下がまだ1歳だってことを鑑みるにまだ10数年先の話なんだろうなー、とか考えているところです。

そうそう!

家に絵を置いてると、お客さんなんかに「写真みたいですね!!」って言われてるんですよね。

褒めてくださってるってわかってるんですが、落ち込みますよね!

「写真みたいな絵なら、写真でイイっすよね〜!絵の意味ないっすよね〜!」って心で泣きますよね。

同意してくださるそこのあなた、今夜は一緒に呑みましょう!

てな具合で、アナログでたまった鬱憤も全てぶちまけて回収してプラマイゼロっていうかむしろプラスになってるのがココなんです。

というわけで「時間がない」とか言いながらブログもなんだかんだ続けているぼくです。

詰まるところ、自分の時間を削ってるのは自分自身で、やっぱやりたいことの取捨選択というか、うまい時間術を今後も磨いていかないといけないんだろうなー。

残念ながら絵の才能はありませんでしたが、物事を習慣化するのは得意だったみたいで、毎日絵筆を握ることも習慣化してますし、今後も死ぬまでゆるゆると絵を描いていきたいもんです。