今日は上橋菜穂子さん著の小説『鹿の王 水底の橋』を読み終えたので感想を書きます。
普段小説をあんまり読まない方にでも「精霊の守り人とか獣の奏者の人」というと「あー!」って思っていただけそうな作家さんだと思うんですが、いかがでしょう?
この作品の前作というかもとの作品である『鹿の王』は今年アニメ映画にもなるそうですね!
しかもスタッフがすごいと期待が高まってるみたいです。
『鹿の王』もめっちゃ面白かったんですよ。
以下、核心には触れませんがあらすじ紹介程度のネタバレがありますのでお気をつけください。
「ヴァン」という、祖国を守るために戦う戦士団の団長が戦いに負けて敵国で奴隷となって過ごしてるんですが、奴隷窟に謎の獣が入り込み、原因不明の病が蔓延し、奴隷も看守も次々と死ぬんですね。
ところが、ヴァンは生死の境を彷徨いながらも奇跡的に一命を取り留めます。
そして脱走を試みるんですが、道すがら同じように生き残った赤ちゃんを見つけ、連れて行くことにします。
この病というのが、国の存亡を左右するような感染病で、ヴァンと赤ちゃんは各国のトップが喉から手が出るほど欲しがってる「抗体」を保有している被検体として狙われるハメになるって話なんですが、そこに上橋菜穂子さん節全開の、呪術的ファンタジー的要素も加わって…という医療ファンタジーで、実は世界中がコロナに悩まされてる今激しくお勧めしたい物語なんです。
そんな物語の続編というかスピンオフというか『水底の端』はヴァンの物語に大きく関わった「ホッサル」という医者が主人公の後日譚なんです。
ホッサルは「オタワル」という、この物語の世界の中で医術に優れた一族の、次期トップとして将来を有望視されているイケメン天才医師です。
しかし国がオフィシャルで認めている医術は「清心教医術」と呼ばれていて、ここが面白いんですが、医術って直接人の命を左右するじゃないっすか。
なのでこの物語の舞台では医術を宗教化させ、国のトップの権威を持たせてあるわけなんです。
医者が政治家も担ってるようなもので、人の命と政治が天秤にかかった時にいろんな思惑が交錯し、それが「神の意思」という言葉でオブラートに包まれるようになってるってカラクリなんですね。
それに対し、ホッサルが扱うオタワル医術は「人命最優先」なため、清心教医術で禁じられてる解剖や輸血もなんのそので、国的に長く邪教視されてたところに、皇后の病を救って見せたことで最近皇帝に気に入られてるって立ち位置です。
オタワルと清心教の確執は、国の偉いさんや長老連中は相変わらずの犬猿の仲ですが、若い医師同士は互いの医術の良いところを学び合いたいと思っていて交流があり、ホッサルにも「真那」という清心教の友人がいるのですが、真那の親戚に、清心教では治せない病を抱えた娘がいて「診てもらえないだろうか?」と頼まれるところから話が始まります。
ホッサルは引き受けることにするのですが、その親戚の家というのが、清心教医術の源流の地で、実は現皇帝の退位後の、清心教とオタワル人のパワーバランスを決める政治争いの渦中に放り込まれることになるんです。
という話なんですが、読んでいくと、医療と人の尊厳について深く考えさせらるストーリーなんですね。
清心教医術は体に異物を混入することを「穢れ」とするので輸血を禁じ、解剖も冒涜とするので、最初は「清政治的思惑も絡んでるし清心教は悪い医療だ!ホッサルがんばれ!」なんて思うんですが、病気や怪我の回復最優先のオタワル医術って、さらに突き詰めていけば、クローン技術とか体のパーツの付け替えみたいなこともやむなしに思えて「人とは?」みたいな話に発展しかねないことに気がつきます。
治らない病の進行を対処療法的に遅らせ、苦しみながら長生きすることと、心穏やかに早死にすることと、どちらが幸せなのか?みたいな対立も生まれます。
この物語では、派手なアクションシーンはありませんが、それぞれの人の信念を掲げた舌戦が繰り広げられます。
簡単には答えのでない問題に、議論を尽くして語り合うことの大切さをひしひしと感じます。「語り合って語り合って、それでも答えが出ませんね…。」ということも大事だなって読んでて思います。
何かの事案に対して、すぐ沸点に達して激しく「正義の炎」を燃え上がらせてしまうのって、やっぱ違いますよね。
語り合うって大事。