最近、自分が書いた記事読み返してみて「なんか説法みたいなことをのたまわってるなぁ〜」なんて思いました。
でも、ぼくはそんな立派な人間でなんてこれっぽっちもなくて、どうということのない普通のそこらへんのおっさんです。
ただ、理想みたいなものはあって、若い頃、尊敬できる大人をみて「この人どうやって時間を使ってるんだろう?」て思ってたんですよ。
すごい博識でいろんなことをしてるのに仕事もしっかりこなし、それでいてちゃんと遊んで人生楽しそう、みたいな。
いるじゃないっすか、そういう人って。
人間は1日24時間で、それを365日繰り返したらひとつ歳をとるってのが平等じゃないですか。
なのにどうしてこの人はこんなに?みたいなのに憧れたんです。
憧れるんなら目指すだけ目指してみようと思って、「ぼくこういうのが理想です」みたいなのは口にしてると叶いやすいってのも聞いたんで、目標にしてみることにしました。
夢は口にした方がいいってよく言いますよね。
「言霊」って言うとなんかちょっとスピリチュアルな感じになっちゃいますが、要は人に説明できるくらい自分の中で整理整頓しとく方が、具体的な目標にも行動の手順を考えるのもしやすいってことなんだろうなーって思います。
だから、ぼくがブログで書いてる日々思ったことも、ぼくが思ったことを整理整頓して「こうなればいいな〜」とか「こーしたいな〜」ってことが多くて「ぼくはこうしてます」みたいなことは少ないかもしれません。
口にできないモヤモヤしたものはあんまり言わないので、実社会でもよく「悩みがなさそう」なんて言われるんですが、結構悶々としながら生きてるんですよね。
あ、でも悩みは悩みで整理整頓せずモヤモヤとしたまんまにして実態が掴みにくい、見えにくい状態のまま放っているって意味では、あながち「悩みがない」は間違ってないかもしれません。
平たく言えば「悩みは見ないようにして夢ばっかり追っている」でしょうか。
で、前回の記事の内容に話が戻ってくるんですが、最近夢ばっかり増やし過ぎたせいで、それらがちっとも叶わないことに悶々としてしまったったのがあったんですよ。
なので「もう何もいらない」です。
正しくは「本当に欲しいもの意外いらない」です。
断捨離とは、ぼくの場合ちょっと違うんです。
「欲しいもの」は並べて飾って眺めて楽しみたいんですよね。
「欲しいかどうか良くわからないけどなんか手に入れちゃったもの」とかがあんまり好きじゃないんです。
「粗品」とか、「喜んで受け取ること」に意味があるもので、持って帰ったらもう価値はないと思ってわりとドライに処分できちゃうタチです。
質量を伴うものに関してはだいぶ厳しく「本当に欲しいもの」を選べるようになってきたんですが、「夢」とか「やりたいこと」とか「心持ち」も精査して「本当に欲しいもの」だけ持って生きていきたいな〜って思ってます。
今日の話に全然関係ないんですが、スピーチとかで「本日は本当にありがとうございました」って最後に「本当」って付けられると、「いや、別に疑ってないっすよ?」って思っちゃいません?