りとブログ

イラストと読書と雑記のブログです

毎日忙しいけどとにかく楽しいことを集めたい

4月だからか、なんだかとにかく毎日が忙しいです。

気が抜いたら「今日も忙しかったな…」ってのだけで1日が終わってしまいそうで、でもそんなのはまっぴらごめんなので、とにかく一生懸命自由にできる時間を寄せては集めてってしています。

時間の作り方がうまいってたまにお褒めいただくんですが、最近、これは整理整頓とか片付けと理屈は同じだなって思ったりします。

とにかく無駄なものを処分していって、必要なものだけが目の前に並ぶようにするってことですね。

ぼくも、昔っから得意だったってわけじゃありませんでした。

自分が本当に欲しいものって、自分じゃわからないですよね。

小さなこどもが何でも欲しがるのを見て、親や大人は「なんであんなもの欲しがるんだ?」って思いますが、何も持たずに地球上に降り立って数年しか経ってない子どもにとって、目に映る全ては「お宝」に見えることは何ら不思議なことではないような気がします。

おそらくぼくが月に行ったらその辺に転がってる石すら喜んで拾うだろうし、だから大阪万博はあんなに盛り上がったんだと思います。

それが、経験を積んだり身の丈がわかってきたりして、いるもの・いらないものの判断が、少しずつつくようになりながら大人になっていくんだろうなーって思うんです。

しかも大人になっても、モノでもコトでも「これ自分にに必要なものか?」って常にその場でジャッジする習慣がないと「なんとなく置いとく」って保留にしたものが溜まっていて、そうやって積み上がっていったものに、いつの間にかぼくらは埋もれていってしまんではなかろうか?って気がしてます。

ぼくは、この「埋もれていく感じ」がすごく気持ち悪くて苦手です。

「ここは本のスペース」とか「ここは好きなものを飾るスペース」「ここは何も置かないスペース」みたいな、そんな感じになってるのがすごい好きだし落ち着きます。

なので、ごちゃっとして「ここは一体なんのスペースだ?」みたいなのが視界に入ると、それはぼくにとって複数の音源が入り混じって耳に入ってくるノイズのような気持ちの悪さが目から入ってきます。

でもウチには子どもが3人いて、最初に書いた通り子どもにとって全てはお宝で、そんなお宝は理路整然と並んでなくても床に散らばっていれば満足で、そしてそれはぼくにとってはとてつもないノイズなわけで、人生とはままならないなと思うんです。

物理的なモノに関してだけでなく、スケジュールや行動について「今これなんの時間?」ってのがもぉダメです。

別に、自分にとって有益なモノとか、自分を高めるコトに全振りしたいわけではなく、「ダラダラする時間」とか「ゲームする時間」とか、今やってることにラベルが貼れるかどうかがぼくにとっては大事です。

月の石だってロマンを感じればお宝ですし、「ただの石じゃん」と思えばその通りです。でもなんか、いつまでもロマンを感じられる大人の方が豊かな人生になりそうな気がしますが、かといって部屋がとっ散らかるのはやはりゴメンですので人生ままならないです。

ぼくにとって1番の安住の地は自分の書斎エリアで自分の好きなことをやっているときです。

次は休日出勤の職場のデスクで自分のペースで仕事をしているとき。

すべてがぼくの思い通りに配置できて、ぼくが神になれるのは、世界でこの2箇所だけですが、ここを拠点に今日も荒野に戦いを挑みに行こうと思うのです。

そして、今日1番とっ散らかってるのはこの記事のような気がしています。

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