20歳のころはじめてホームページをつくりました。
ということはぼく本体は40歳ですが「りと」はそろそろ20歳です。
酒もタバコも解禁です。
そんなアダルてぃなぼくは、ちょっと前にTwitterでこんな説を見かけました。
最近の「ネット殺伐としてる論」に対して「昔から2ちゃんねるはこんなもんだった」というお話です。
「おれは知らぬ間にネット全体が2ちゃんねる化してる世界を生きてたのか!」って思いました。
当時、ぼくもたまーに2ちゃんねる見てましたが、うっかり怖い部屋の扉を開けたりすることもあって、そういうときはそそくさと自分のホームページに逃げ帰って安堵するようなネット生活を送っていました。
2ちゃんねるってなんだかんだ棲み分けがされてて、それぞれの空間内で各々がでワイワイやってて、そういった意味では礼節を重んじてた気がするんです。
しかし、いつの間にか壁は取り払われていたわけで、ノーボーダー・ダイバーシティ、ベルリンの壁はとうの昔に壊されてたってわけです。
人種の垣根をとりこわそう!
いま思えば、「ホームページ」に開設してた「日記」には、今より自由に好き勝手なこと書ける雰囲気がありました。
人様の日記を読んだ感想は、いちどホームページに戻って、今度は掲示板にいくか、メールを認めなければ書けなかったというハードルの高さが良かったのかもしれませんね。
手間がかかる分、奥ゆかしくなれるというか。
親しくなければ礼儀マシマシというか。
そーいえば「掲示板より手軽にコメントできる!」って「ウェブ拍手」なんてのも流行りましたよね!
ぼくのホームページは拍手するとこんな画像がでてました。
Twitterも、はじめは誰に読んでもらうでもない呟きをはなつツールでしたよね。
「おはよう」に対して「ございます」くらいで返すのが楽しいな〜って思いました。
それからスマホが一気に普及し、みんなスマホから呟くようになったもんだから、まるで俳句や短歌でコミュニケーションをしてるようなもんですよね。
互いに行間を読み合って、雅で情緒的なやりとりこそTwitterにはふさわしいのかもしれません。
ほら、直線的に読んだら「え!?」って思うようなあんなコメントもこんなコメントも、ひと呼吸おいて読み直してみると、気づかなかった深い意味が見えてくるかも?
夜中に感情的に書いたコメントも、朝起きて推敲すると、もっとエレガントな言い回しが思いつくかも?
だから本当は、最初の「昔から2ちゃんねるはこうだった」も「そういうモノにいつ出会うか判らないのがネットなんだから耐性つけときましょう」が真意なのかもしれませんね。
なんかダラダラ書き殴ってますが、ぼくはこういう言葉遊びが大好きで、こーやって付き合って一緒に楽しんでくださってるあなたにありがとうございましたとお伝えして、今日もそろそろ予約投稿ボタンを押そうと思います。