国境について

小中学校の頃って学区っていう区切りがありましたよね。

ここから向こうは隣の学校の学区、みたいな。

ぼくの実家は、3つの学区の境あたりにあったんですよ。

2つじゃなくて、3つ。

ぼくの実家がゴミを捨てに行ってたゴミステーションはT字路の交差点のところにあったんですが、ぼくの家はTの字の縦の棒の道沿いにあって、横棒と交差する部分にあるゴミステーションにゴミを捨てて、右を向くとA小学校の学区、左を向くとB小学校の学区、回れ右して家に戻るぼくはC小学校、みたいな状態だったのです。

髪を切りに行ってた最寄りの床屋はA小学校の学区だったし、ドラクエ4コマ漫画劇場を買いに行ってた最寄りの本屋はB小学校の学区でした。

どちらも歩いていける距離なのに、それぞれのエリアですれ違う同年代の子どもたちは自分とは違う小学校に通う知らない子どもたちで、なんかそれは、まだまだ狭い視野で生活していたぼくにとっては、ほぼ「外国の子ども」だったわけです。

本屋も床屋も歩いて行ける距離なのに、いつも国境を超えてるような気分だったし、そんなとこに住んでる自分は辺境の地に暮らしているような気分でいました。

昨今の世界の情勢について「日本国民は四方を海に囲まれた島国なので…」みたいな論がありますよね。

ぼくが小中学生の頃に感じてたあの感覚の延長線上に、国家間のいざこざの火種みたいなものがあるんだろうなぁと、なんか遠い日の記憶が蘇ってきたりします。

高校で知り合った友人がそんな常連の床屋さんの近くで「えー!近いじゃん!」ってなったこともありました。

歳を重ねるごとに視野が広がっていくのって、楽しいですよね。

そう考えると、今のこの、移動を制限されてる感じはやっぱ息苦しいなぁと思うこともあります。

飲み会がなくなったり時差出勤制度が導入されたりと喜んでたくせに…と、自分で自分にツッコミを入れたくなりますが、人間なんてそんなもんですよね。

広い視野に立って

っていうのは、やっぱ難しいなぁって思うのでした。

f:id:rito-jh:20220411214447p:plain