悟りの書

すごく悩んで悶々として、いろんな本を読んで解決策を探してたことが、ある日突然何かの拍子に「あ、そういうことか。」てなることが昔からあります。

ごちゃ混ぜになった数種類のパズルの欠片の中から、必要なものを見つけて目的の絵が完成するような、そんなイメージなんです。

1番古いこの体験の記憶は、高校時代です。

中2くらいから「学校の勉強はなんのためにするんだろう?」っていうのが全くの謎で、何聞いてもしっくりこなくて、全く手に付かない時期があったんです。

それが、高2の1学期の期末試験の時に「あ、そういうことか。」ってのが突然ストンと腑に落ちて、スラム高校に進学してたってのもあるんですが、ぼくは学年の成績トップ層に躍り出ました。

この「あ、そういうことか。」ってイメージですが「あ、そういうことか。」以外にうまく言語化できないんですよね。

そんなことは、それからもたまーにあって、最近またひとつ、そういうことがありました。

去年からマインドフルネス系の本やら記事やらをあれやこれや読んでるうちに、必要なピースがちょっとずつ集まっていってたようで、やっと自分にとってドンピシャな、オンリーワンな聖典ができたような気がしています。

これが「悟りの書」か。

とか思ったりしています。

心がふっと楽になるような価値観がぐるっと180度回転するような、そーいうものって、たった1つの出会いの人もいれば、ぼくみたいにいろんな欠片を集めてるうちにある日突然出来上がる人もいるんだと思うんです。

不思議なもんです。

この悟りの書を忘れずに常に持ち歩けたらなと思います。

使わなかったパズルの欠片は片付けなければなりません。

ぼくが住んでいる地域では、週に2回、燃えるゴミを出す日があります。

捨てるゴミをまとめているときに、ゴミ袋に空きがあると、ぼくはあらかじめ作っておいた「いるのかいらないのかよくわからないものリスト」の中から「君に決めた!」とゴミ袋の隙間に詰めたりします。

ゴミ袋に隙間がないときは、この作業は行いません。

「君に決めた!」っていう決断ができない時も、やはり行いません。

こうやって緩く持ち物を処分していくうちに、自分にとって本当に大切なものはなんなのか、のんびりと考えることができる気がしてます。

うまく説明できないんですが、他者に対するイライラも、ぼくには不要なものだなーなんて思って、隙間にポイッとひとつずつ捨てたりします。

自分の子どもに対するイライラも「将来こうあってほしい」っていうぼくの願いと現実の不一致でぼくが勝手に生み出しているゴミだなー、なんて思ったりします。

「コスパ」とか「お得」ってものも、結局は「損したくない」っていう自分自身の欲が生み出すゴミかもしれない、なんて思ったりして、こーいうのももう手放してもいいなーと思うようになりました。

本当に好きなものに囲まれて、楽しく穏やかに過ごしていきたい。

明日何かあったらまたイライラしてしまうかもしれないので、今のこの感じが、自分の中に根を張ってくれたらいいなって思います。