漣を描きたい

こないだもちょろりと書きましたが、去年興味を持って独学で始めたマインドフルネスを、つかず離れずな感じで継続しています。

「最近あんまりやってないな〜」って気が付くたびに、図書館で関連書籍を借りて読んで「おお、そうだった」って実践したり、それくらいの距離感です。

そして、なんとなく続いてる間は「お、以前はこーいうことでもイライラしてたけど、今は平気だよしよし」なんて思ってみたり。

そうこうしている間にその気持ちを忘れて、また散らかってるリビングにイライラしたりして、慌てて関連書籍を読んだり、まあそんな感じの繰り返しです。

そんな生活をしてることを、リアルの知人にも話したりすると「不満や不安がなくなったら芸術をやる人間にとっては困るのでは?」なんてことを言われたりもします。

確かにな、って思います。

鋭い指摘です。

あまりに満ち足りすぎてしまうと、表現したいものがなくなるというのはあるかもしれません。

そういう感情を原動力に、ものすごいパワーを秘めた作品がたくさんありますよね。

ムンクとか、ロダンとか、シャガールとか。

ぼくも、心の中にあるモヤモヤしたものが手を伝って、綺麗な色になって画面に吐き出されていくことに脳汁を垂れ流した夜もありました。

ただ、今のぼくにはそんなカオスを煮詰めて捏ねて結晶にしてく余裕がないのかもしれません。

今ぼくは、凪いだ水面にたまに浮かぶ漣を表現できたらステキだな〜と思ってます。

こう、日常生活の些細な喜びを描くというか。

ミレーとか、ノーマン・ロックウェルとか、ルノワールとか。

喜びに満ちた絵を描く人だって、喜びを見つける努力をしてたんじゃないかと思うんですよね。

だからぼくも、いつも心が凪いだ状態になることを頑張れば、小さな漣に大きな感動を得られるんじゃないかなー、それを描けたら素敵なんじゃないかなー、って思うんです。

福田平八郎さんの「漣」ってはまさしく禅の世界だよなーと思うんです。

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ぼくも凪いだ心で美少女を描きたい。。。