ざっくり生きていく

今年の春くらいからイラスト練習をしようと思い立ち、いろんな技法書を買ったり借りたりして読んでいるんです。

すると、やけによく出てくるなぁって思う単語があって、それが「ざっくり」です。

「はじめはざっくり描きましょう」「最初はざっくり塗りましょう」といった感じで、絵の工程の前半に、大まかに形を捉えるときに登場します。

この「ざっくり」が、ぼくはどうにも、気にしなくても良いのに気になってしまうんです、なぜか。

前世で因縁でもあったのでしょうか?ってくらいです。

でも、ぼくが学生だった頃は先生に「ざっくり描きましょう」なんて言われた記憶はありません。

なのでここ数年で急激にお絵描き界隈で使われるようになった言葉なのかもしれません。

ちょっとネットで語源を調べてみたところ、おおきく2種類くらいの説が出てきました。

ひとつは「ざっくばらん」のもとの言い方だった「ざっくばらり」がルーツという説。

もうひとつは、噛むと「さくさく」ではなく「ざくざく」と音がする程度のサイズに切られた野菜の様子がルーツというもので、どちらにしてもまあ「テキトー」といった具合を意味する言葉だということはわかりました。

でも、となるとでは「ざっくり描きましょう」というのはどの程度にテキトーに書けば良いんでしょうか?

これはすごく難しいです。

ぼくがテキトーに絵を描いたらこんなもんです。

しかし、ぼくは職場でも趣味は絵を描くことで公募展にも出してることを公言しているので(このブログのことは伏せてます)、最近はあんまり頼まれなくなりましたが若い頃は「りとくんテキトーでいいからここに簡単なイラスト描いてくれない?」なんてことを言われることもあって、そんなときに向こうが求めているレベルはこんなものではないはずです。

なので、技法書で「ざっくり」という言葉が出てくる際には、ざっくりレベルを書き手と読み手がまず揃える必要があるのかもしれません。

表紙にあらかじめ「この本のざっくりレベルはこれくらいです」と明記されていると、買って帰って読んでみて「この本に書いてることは自分にはまだ高度すぎた…」なんていうマッチングミスの悲劇も減るかもしれません。

…なんてことを妄想してみましたが、実は世の中の何でもかんでもを四角四面にきっちりかっちりしてしまったらそれはそれでとっても息苦しくて、ぼくみたいな生来のテキトー人間はいきていけないかもしれません。

「適当」とはとてもいい言葉だと思うんです。

案外、ざっくりを流行らせたのはぼくみたいな人だったのかもしれないな、なんて思ったりもしたのでした。

というわけで、今夜もざっくりとしたグリザイユの練習をしています。