【読書感想】『ホワイトラビット』小説というメディアのハンデをうまく使ってる!

伊坂幸太郎さんの小説は何冊か読んでるのですが、個人的に「すごく感想が書きにくい」作家さんです。

あ、disってる訳ではないんです

なんていうんでしょう。

「面白かったぁー!!」ってなるんですね。

痛快、爽快、エンターテイメント!って感じで、ぼくの中ではド派手なハリウッド映画を観る時と同じ快感があります。とにかく「面白かった!」に尽きるんです。

また、その面白さを説明するためには、ほぼネタバレをしないといけないんですね。

どうでしょう?伊坂ファンの方は「あーなんとなくわかる」って感じになってくださるでしょうか?

なっていただけたら嬉しいです。

それでも今日は『ホワイトラビット』についてちょっと書いてみようかと思いました。

ホワイトラビット

ホワイトラビット

 

仙台で起こった立て籠り事件 

このお話は、複数の物語がひとつの立て籠り事件で交差するようになっていて、それを解説するストーリーテラーというか、まるで神様みたいな、漫画なんかでは吹き出しとは別の、四角い囲いでナレーション的に描かれる語りの視点でお話が進みます。

この語りが、レ・ミゼラブルをオマージュしたような語りになっていて、複雑な話を軽妙に回していくんです。

誘拐をビジネスにしているとある「組織」で、折尾という男が組織の金をちょろまかして姿を消します。組織は、末端の構成員である兎田に、奥さんを人質にして折尾から金を回収してくるよう命じます。

同じ頃、宮城県警に「拳銃を持った男が一般家庭に押し入り、家族を人質に立てこもっている」と通報が入り騒然となります。

そんなタイミングで、この界隈で盗みをしていた黒沢という泥棒が、手違いから入った家で、この騒動に巻き込まれます。

生中継される現場の報道をテレビで見て、組織のボスは人質にしている奥さんを痛めつけながら兎田を焚きつけます。折尾が持っていったお金は大きな商談のために必要なものだったのです。

警察内部でも水面下でいろんないざこざがおきます。

人質に取られている一家の様子もなんだか変です。

一連の騒動は、一体どういう結末を迎えるのでしょうか?

ミスリーディングを楽しむ

こんな感じで、それぞれのエピソードが、神の視点みたいな語り手によって細切れにされながら、ものすごいテンポで描かれていくんですね。

読む側は、一生懸命それぞれの話を時系列に並べてつなぎ合わせて全体像を脳内に描いていくことになるのです。

本当にパズルを組み合わせていくかのような感覚です。

これが楽しいんですね。

しかし、なんです。

「組み上がった!」と思った瞬間、バラバラー!!っとピースが全部弾けて「実はこんな絵でしたー!」って全く違う「真実の絵」が突然現れるんです。

騙されたぁー!

って思うんですが、それが楽しいんですね。

不自由なメディア

突然ですが、ぼくはユーチューバーの皆さんって本当にすごいと思うんです。

短い時間内に、見る側が楽しめる要素を、無駄なく、飽きないテンポで見せてくれるじゃないですか。

至れり尽くせりのメディアだなーって思うんです。

それに比べると、小説は絵がないですし、読むのに時間がかかるし、一冊の値段は高いし、すごく不自由です。

ですが、この「騙されたぁー!」は不自由だからこそ楽しめる感覚のようにも思うんです。

ぼくの好きな「絵」も、残念ながら動きません。

同じシーンばかりを延々見なければなりません。

だからこそ、その絵の前のシーンと後のシーンを自分で想像して楽しめるわけだし、そのための仕掛けが画面のあちこちにあるわけですよね。

「絵」や「小説」が高尚で「動画」は低俗だ、とかそんな話じゃなくて、それぞれのいいところを楽しめたらいいな、なんて思ってます。

その中で「好き」「嫌い」が出てくるのはあくまで個人の問題だよなー、なんて思ってます。

そんなことを思わせてくれたお話でした。