先日、ブログ友達の年間300日スーツで過ごす女、バリキャリ乙女のイシイド マキ (id:comotenasi)さんが、冷静にぼくを分析するという記事を書いてくださいました。
ちょっと前にこちらの記事で書いた通り、ぼくは自己評価があまり高くないのですが、結論としてマキさんはぼくを手放しで褒めちぎってくださっていて、本当に染みるように嬉しかったりします。
(前半の、ぼくが読んでブログに感想書いてた本を読んでの感想も読み応えがあってオススメです!)
4月の忙しい時期なので、余計にグッと来ている次第なのですが、マキさんの分析がとても興味深くて、今日はマキさんの書いてくださった内容を咀嚼しながら自分を振り返ってみたいと思います。
詳しくはぜひマキさんの書いてくださった記事を読んでいただきたいのですが、ここだけ引用させていただきます。
私が思うに、りとさんは特別に誰とでも仲良くできる人ということではない。
たぶん、りとさんは『自分と仲良くできる人を見抜く力』が優れているに違いない。
優れているかどうかは置いといて、ぼくはこのことに心当たりがあるのです。
ぼくは友達が少ない
昔からなのですが、ぼくは広く浅く人と付き合える反面、腹を割って話ができるような人がとても少ない自覚があります。
それこそ、中学時代には氣志團みたいな格好でタバコを吸って先生とバトルする友人から図書館でアニメージュを読みふける友人までいろんな友人がいました。
交友関係の広さを「凄い!」と思っていただけるかもしれませんが、ぼくはどこかで一線を引いてた節があるのです。
なので、普段は笑顔で話をするのですが「ここ一番!」のイベントには誰にも呼んでもらえない、なんてことが多々ありました。
言ってしまえば「八方美人」なんです。
元々の性格だったかもしれませんし、小学校に上がる前に引っ越したせいでちょっとだけいじめられてたせいかもしれませんし、親が異常に厳格で「お前ん家の親ちょっとおかしいよな」と言われることに対する処世術だったのかもしれません。
さらに、ぼくの場合「八方美人」なくせに「侵入してもらいたくない聖域」が自分の中にあって、それを頑なに守ってたところもありました。
大学時代も、お酒を飲んでみんなで「うえーい!」ってなってるのを見るのは全然楽しいのですが、一緒になって「うえーい!」は決してやらない、というか「やれない」みたいな感じです。
こうやって、じーっと周りを観察しながら、嫌われず、かつ闇雲に自分のテリトリーにググッと入って来る人もいないポジション取りをしながら、広く付き合い、そんな中で会えた「この人とは腹割って話したい!」って人と仲良くしてるイメージなのです。
これがマキさんの書いてくださった『自分と仲良くできる人を見抜く力』の正体なのではないかと思ったのです。
「拡散」しない
ぼくは世代的に、ADSLの普及とともに「ホームページ」をつくった経歴があります。その後、ブログが世に出て、いろんなブログをつくっては潰し、ミクシイをはじめとしたSNSも一通り試し、そろそろネットとのお付き合いも20年になろうかとなってて、今はこのブログに落ち着いているわけですが、上記のような性格のせいか、どんな媒体でも「拡散」することがありません。
読者数◯◯◯人!とか、1日◯◯◯PV!とか、そういうのにずっと無縁なんです。
その代わり「腹割って話をしてくださる常連さんには恵まれてるのな〜」といつも感じています。
だから楽しいんですよね。
はてブやグーグルの仕様変更
というわけで、はてブやグーグルの仕様が変更になるたび、巷ではいろんな苦労話が飛び交いますが、ぼくにとっては「どんどん居心地がよくなってる」印象があります。
ぼくの「考え」に対する「批判」なら構わないのですが、1つの考えからこちらの全人格を否定して来るタイプのコメントってあるじゃないですか。
ぼくもこのブログ始めた頃はそんなのもらってたのですが、そういうのがどんどんなくなってってるんですよね。
「ネットの華」という考え方もあるのかもしれませんが、ぼくにとってはちょっと辛いものだったのです。
それが、これがここのところ、本当にないのです。
ありがたいです。
いつか書いた通り、気心知れたメンバーがふらっと立ち寄ってくれるカフェやバーみたいな場所になっていて、常連さんがご自分の友達を連れてきてくださって、緩やかに常連さんが少しずつ増えてってる感じです。
最近もがっちゃんさんがアンサー記事をもりもり書いてくださってて、こちらも嬉しいやら楽しいやら、です。
なんというか、いま気持ちが「テレビ版エヴァンゲリオン」の最終回みたいな感じになってて、ぼくのブログもうすぐおわるんじゃないか?って気もしますが、これからも、ドリンクやメニューの代わりに、モイつくネタを提供しながら、ゆるいカフェやバーのようにブログを続けていきたいです。