みんな忙しいだけなのかもしれない

ちょっと前に「アリとキリギリスって話がありますが、国によってはキリギリスさんがリスペクトされるらしいです」というお話の記事を書きました。

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こういうお話を書くとたまに「お前はアリさんをバカにするのか!許せん!お尻ぺんぺんである!!」みたいなご意見をいただくことがあります。

「ああ、意図することがうまく伝わらなかったなぁ」と反省します。

なので実は今回も「何もなさそうでよかったな」とほっとしているところです。

物事を正しく伝えようと思ったら、平易な言葉を使うべきなんですよね。

プライオリティ、とかビジネスパーソン、とかイシューがスポイルする、とかザギンでスーシーとかでなく。

でも、ついつい色気を出して「りとらしさ」みたいなものを醸したくなって、変な表現の「言葉遊び」をしたりしてしまいます。

そんなちょっとの「変化球」が積み重なって、軌道がそれて、気がついたらデッドボールになってるんだろうなー、なんて思うんです。

現代人は忙しい

世の中「忙しい」がデフォルトですよね。

そんな中で、わざわざぼくの「お遊び」に付き合ってくださる方は本当にフィーリングが合う奇特な方(褒め言葉)で、ちょっと通りがかった人にそんなことを期待するのは申し訳ないことなのかもしれません。

そういえば「忙しい」って「心」が「亡」くなるって書きますもんね。

心無い言葉って、忙しいから生まれることなんだな、なんて改めて思ったりします。

かくいうぼくも、忙しい時ってこの世に対する呪いのような言葉が出てきそうになります。

てか、出ます。

そしてあとで後悔しちゃうんですよちゃうんですよね。

「俺はこんなちっぽけな人間だったのか…」って。

でも、悪いのはぼくじゃないってことです。

忙しいのがいけないのです。

ネットで見かける批判の浴びせあいも、ただみんな忙しいだけなのかもしれない。

なんて思うんです。

忙しい職場ってギスギスしますしね。あれと一緒かな?と。

そういえば、世界中でこんなに時間に追われてるのって、先進国のごく一部だけだって話も聞いたことあります。

現代人は、忙しさに負けたってことなのでしょうか?

忙しさに負けて、心が亡くなっちゃったら人類は人工知能にも負けてしまいます。

そんなディストピアにならないよう、ぼくらはダラダラしなければならないのです。

ダラダラしながら妄想をどこまでも広げ、創作活動をするべきなんです。

というわけで、

無理なものは無理。

助けて欲しい時は遠慮せず意思表示する。

で助けてもらったら「ありがとう」。

その代わりに余力があるときに助けを求められたら出し惜しみしない。

そんな感じで生きていけたらいいなー、と最近よく思います。