「何が嫌なのか」を冷静に考えると嫌なことは案外少なかったりするんです

仕事してるとたまに「ハッ!」となることがあるんです。

例えば、ある日の夕方に会議があるとするじゃないですか。

その会議で自分が何か言わないといけなくて、でも参加メンバーにはちょっと気難しい人がいて、絶対重箱の隅をつつくようなアラを見つけてくるだろうなって予測ができたりするわけなんですよ。

そうするともぉ、前の日の夜から「あー仕事やだなー」って思考になるわけなんですが、

 

このとき感じるのって

「仕事やだなー」なんですよね。

 

「会議やだなー」じゃなくて。

例えその日の午前中に、ちょっとやりがいのある仕事があったとしても、です。

これってすごく勿体無いなって思うんですよね。

こうやって仕事を嫌いになる人も多いんじゃないかな?って思ってます。

なのでぼくは「あれ?なんか今おれ、いやーな気持ちに囚われてるな」って気が付けた時は「何が嫌なのか」を考えて、嫌なことをなるべく絞るようにしてるんです。

そうやって考えると、嫌なことはその日にそれ1つしかなかったりして、逆に良いことは3つあったりすることも思い出したりして「結果良い日じゃん!」って思えることもあります。

これって人に対しても一緒で「あの人やだなー」って思ってても「何が嫌なのか」を丁寧に見ていけば、案外自分が「嫌だな」って思ってたトコは限定的なその人のごく一部で、そこ以外は嫌ではなかったりして、そうなると、そんなに相手のことを憎まなくてもよくなったりします。

「すごいですね!」と言われてしまいそうですが

そんなことは全然ないんですよ。

ぼくは基本自分が可愛くて、なるべく楽して生きていきたいと思ってます。

そのためには、負担になることはなるべく減らしたいんです。

嫌な物事を「嫌だと思う」って、すごい労力で、それって負担なんですよね。

ストレスは蓄積するわ、他に何も考えられなくなるわ、暴飲暴食してしまうわ…。

なので、どうやったらこの負担から逃れられるか?と考えて編み出した方法なんです。

自分にとって嫌なことを極力限定して、箱に詰めて心の棚にいよいよ考えないといけない時まで隠しておく感じです。

まぁ、本当に切羽詰まった時はそんなことする余裕もないんですけどね。

そこは今後の課題です。

絵の才能はなかったけど

…てなことを、絵を描きながら自分を振り返ってぐるぐると頭の中で考えてたり、よくします。

ぼくには絵の才能はありませんでした。

なのに絵ばっかり描いてたので、コミュ障って自覚もあります。

それでも、こうやって考え方をコントロールして、世の中と折り合いをつけて飄々と流れていく才能は(「立ち向かっていく才能」でも「道を切り開いていく才能」でもないんですよね、ぼくの感じ)(「才能」というと仰々しくて、ゲーム脳的には「スキル」でしょうか?)、あったのかもしれないなーなんて思ったりしながら、隙間時間に絵を描きつつ、今日の記事を書きました。