最近休日の度に描いている水彩画の続きを今日もご報告したいと思います。
今回は花びらを描き込んでいきました
という訳でこんな感じです。
「花の完成系を見ながら周りを進めていきたいなー」なんて思いまして、先行して花を描き込んでいきました。
と同時に、背景も色を置いていきながら、全体の雰囲気がなんとなく見えてくるようにしました。
今日の仕事のパレットはこんな感じです。
まだ赤系を使ってないので、イマイチつまらないというか、単調な感じが拭えないですねぇ…。
本当はこれだけの色数でも鮮やかに見せられる腕があると凄いのかもしれませんが、ぼくはまだその域ではなさそうです。
ちなみに、今回一回だけ絵の具乾かす時にとった途中経過の写真がこちらです。
やっぱ途中段階が1枚しか撮れないあたり、ぼくはアナログ画のメイキングとか向いてないんでしょうねぇ。
どなたか後ろで撮影しておいてください!
全体を撮ると、ぼくの意図するところがあまり伝わらなかったので、試しに花びらを接写してみました。
ぼくがやりたかったことがいくらか伝わりますでしょうか?
振り返ってみると、思ったより立体的になってしまったので、次回茎と葉を進めていきながらバランスとって、強すぎる立体感は潰したりしながら、フワッと軽い感じを出していきたいなー、と考えています。
あとは、葉っぱの遠近を色味を調整して出していきたいですねぇ!
実物を見る
美術館やギャラリーで絵を見るとき、めっちゃ近づくと、ネット画像や図録じゃわからない複雑な色合いが見えてくることがあって「おぉ…!」ってなるんですよね。
人間でいえば肌から血管が透けて見える、みたいな感じでしょうか。
「毛穴」と例えたら変態っぽいですかね!?
でも、絵の具と一緒に塗り込められた筆から抜けた毛とか発見すると「確かにこの前に画家が居て描いたんだなぁ」なんて思えて感動したりするんですよね。
デジタルでも凄い絵はたくさんあるし、ネットで世界中の名画を見ることはできますが、こういうのを再現できるようになるまで、アナログ絵画と物理的な美術展の衰退はないだろうなー、なんて思います。
(どっちが優れてるとかそんな話じゃないですよ?特性の違いってやつです。)
絵が間に合わないかもしれない
さて、今日のタイトルの話なのですが、ブログにあげてる絵は子守の合間に少しずつ描いてて、この絵とは別に朝活の時間を使ってガチで描いてる絵があるのです。
で、その絵が応募しようと思っている美術展に間に合うか微妙になってきました。
ちょっと焦っています。
…って、まぁ毎年のことなんですけどね。
しかしこの締め切りは、誰かに強制されてるわけでも、食ってくためにやってることでもないわけで、つまりは自分で自分の首を締めてるだけ、なんですよね。
毎年毎年。
勝手に追い込まれて、勝手にハラハラしてるわけなんです。
なのでたまに「応募するのやめちゃえよ〜」なんて誘惑が脳裏をよぎります。
もっと言えば、絵を描くこと自体やめたら、ぼくの人生はかなり楽になると思うんですよ。
以前「10代の頃からめっちゃ絵を描いてました」みたいな記事を書いた時に「その時間を資格取ったり各種勉強に使えばもっといい人生が送れたろうに」みたいなコメントをもらったことがあります。
「 確かにー!」って思います。
それでも
やっぱり絵を描いてないと自分はダメになってたろうなぁ〜、って思うんですよ。
先日「絵を描き続けてコミュ障になった」って話を書いたら、永富 月来子 (id:flemy)さんからこんなコメントをいただきました。
絵ばっかり描いていたからコミュニケーションが苦手なんじゃなくて、コミュ二ケーションが苦手な人は、ひとりで何かするのが好きになるんだと思います!
「そうだった!!」って思いました。
むしろ、もともとコミュ障だったぼくは、絵を描いてたおかげで「お前うまいな!」なんてクラスメートに言われて友達の輪に入ったんでした。
大事なことを思い出させてもらいました。ありがとうございます!
ぼくはずっと絵に救われてるんです。
「体の中にあるいろんな想いが右手から絵筆を通じて画面に吐き出されて、綺麗な色になって画面を埋めてく感じ」は、一度体験したらもうやめられない魅力的な行為です。
ぼくの中に渦巻く愚痴や不満、悲しみや怒りなんかも全て持って行ってくれます。
もっと上手くなりたくて、そのための刺激が欲しくてぼくは今年も応募するんです。
最近自分の内側に深く潜っていく系の話題が続きますが…
絵を描いてる時に、頭の中をぐるぐる回ってる思考を記事にまとめて垂れ流してるだけです。
もっと言えば、脳がいつもより「アートモード」になっててちょっとカッコつけてるだけです。
つまり、鬱っぽくなってるとかそういうのは全然ないので、お気楽にお付き合いくださいね!