忘れてしまいたいこと

なにか新しい絵を描こうと思った時、ぼくはとりあえず頭に浮かんだものを全部紙の上に吐き出す作業から始めます。

そうやって出てきたものを並べて、どんな絵にしようかなと考えます。

大体の方向性が決まったらとりあえず描いていきます。

描きながら「ここはもうちょっと何かあった方がいいな」とか「ここはごちゃごちゃしすぎたから整理しよう」とかやってるうちに構図が決まっていきます。

この工程って、ちょっとパズルに似てるなって思うんですよね。

パーツを置いたり外したりしていくうちにあるとき「ここね!」って場所にそれぞれのものが落ち着いていく。

もちろん、それはぼくにとってのベスポジなだけで、もっと上手い人から見たらまだまだ甘いのでしょうが、それでもぼくにとってはやはり今現在の精一杯のベスポジだったりするのです。 

よく、絵を描いてる人ってこの辺りのことを感覚的にやってるように思われるのですが、じつはそんなことはなくて、ぼくがパズルのピースを組み合わせていくと書いたような、たくさんの計算の上に絵が出来上がってるだと思うんです。

もちろん中には感覚的な方もいらっしゃるのでしょうし、達人の方は長年の経験からもはや計算が骨の髄まで浸透していて条件反射みたいになってて、さも感覚でやってるようにできてしまってるのではないかと推察していたりとかします。

料理の上手い人がテキトーな分量で入れた調味料で完璧な味付けしてしまうような、あれです。

ぼくはこれを学生時代に「色彩構成」って課題を何枚もやって鍛えられました。

なので構図や配色ってセンスではなく、訓練によって身につける筋肉みたいなもんだと思うんです。

さて、このパズルのように絵を仕上げていくノウハウなのですが、ぼくの人生にもメリットデメリットを与えています。

まずはメリットなのですが、仕事をする際に大いに役立っています。

何かのタスクの際に、まず要不要なピースをとりあえず全部並べて簡単な青写真を描いて、成し遂げるために何がどれだけ必要で、どういう段取りを踏めばいいかを考えるのが、ぼくはわりと得意です。

まさに絵を構成していくのと同じ工程なんですよね。

そしてスタッフ皆に負担がなるべく均等になるように分配して、みんなで取り組んでく体勢をつくってくのが好きです。(ただしどこにでもいるであろうあんまり働くのが好きではない先輩には負担軽めにしてしまいます。同じ負担を背負わせるための労力でこちらに倍の負担がかかるので)

逆にデメリットとしては、こういった工程を経てないものに出くわすと、ものすごく、必要以上に「気持ち悪い」と感じてしまうところです。

先の見通しを感じられないような「え?これなんの意味があるの?」ってものに出くわすと、激しく心を消耗させられます。

これは別に仕事に限ったことではなくて、足し算引き算をなされていないレイアウトのインテリアとか、もっと小さなところでいえば机の上に置かれたものの配置とか、そこに主の意図を感じられないものすべてがノイズにような、電車で隣に座っていた人が突然電話をはじめたときに聞こえてくる、意味がわかるようなわからないような断片的な会話の内容のような、そんな印象をぼくに与えるんです。

このデメリットとうまく付き合えるようになって、嫌な気持ちを忘れられるようになれたら、ぼくはもう一段人生の満足度を上げられるんだろうなと思うんです。

近頃でいえば「いやーぼく美術かじってるんでこういうの気になっちゃって!」みたいなマウントっぽいし。妙なところを気にする心は忘れて、平穏無事な日々を送りたい。

最近たまに書いてる凪の心持ちも、この一環です。

根が欲張りなので、これからも対処法を一生懸命さがします。

今週のお題「忘れたいこと」

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なんとなく描いたもの。

覚えてたら清書します。