今日は瀬尾まいこさん著の小説『そして、バトンは渡された』を読み終わったので感想を書こうと思います。
あらすじ紹介程度のネタバレがありますのでお気をつけくださいね!
はじめは読む気が無かった
メディアで「本屋大賞とった!」て見たとき「陸上競技の小説かな?」と思いました。
でも、違うんですよね。
血の繋がってない親の間をリレーされた17歳の女子高生「森宮優子」ちゃんの物語という、彼女自身がバトンのお話なのです。
というわけで次は「ああ、これは現代版家なき子的な、小公女セーラ的な小説かな?」思い、「ちょっと読むのに元気いるかもなー?」と思いました。
でも、違ったんですよね。
優子ちゃんは「全然不幸ではない」
物語は1章と2章の2部構成になってます。
1章は、優子ちゃんが高校3年生になった春から始まり、日々の暮らしを追いながら、これまでの人生を回想したり、進路に悩んだり、友人関係で色々あったり、学校行事に勤しんだりする話が展開されます。
優子ちゃんは4回苗字が変わっていて、複雑な家庭環境から周りの人たちも気を遣ってくれるのですが、1番の悩みが「みんなが心配するような悩みが自分にない」ことなんですね。
さらっと物語の肝に触れない程度に優子ちゃんの親が変わって行く経緯を書きます。
まずはじめに産んでくれたお母さんが3歳の時に事故死してしまうんです。
そして小学校3年の時にお父さんが「梨花さん」という若くておしゃれで美人な人と再婚するんだけど、5年生になるときにお父さんが仕事でブラジルに転勤することになり、友達と離れ離れになりたくない優子ちゃんは梨花さんと日本に残ることにします。
それから、中学時代は大富豪の「泉ヶ原さん」という人がお父さんになるんですが、高校生の現在は一流企業で働くちょっと変わり者の「宮森さん」という人が父さんとなり現在は2人で生活してるんです。
どういう経緯で親と家族形態が変わっていくのかはぜひ読んでみて欲しいのですが、「どの親も優子ちゃんを愛していた」し「優子ちゃんも愛されてると感じてた」んです。
子どもは「生きがい」ではない
これは「個人の考え方の違い」の話だとお断りして書くのですが、ぼくは子どもは「大切」ですが「生きがい」ではないと思ってるんですね。
なんというんでしょう?
「生きがい」という言葉にはどこか親が子どもに依存してるっていうか所有物化している感があって、ちょっと抵抗があるんです。
また、この抵抗は「ぼくが全身全霊で子育てに飛び込めないことへの言い訳なのかも?」とも思ってます。
そんなぼくにとっては、すごく考えされられるお話だったんです。
優子ちゃんの親たちはみんな、優子ちゃんを本当に大切に大切に思ってるんです。
でも、大きな決断を迫られた時、最後の最後の一線でみんな自分を優先するので、親の交代が起こるんです。
そんな大人たちの行動は、優子ちゃんも感じとってて、優子ちゃんも「愛されてる」と感じながらも、どこか大人に対して冷静な「諦め」を抱いてるんですね。
あまり直接は書かれないのですが(これが本当に上手い!)文章の端々にそんなニュアンスを感じさせるんです。
17歳という多感な時期に複雑な自分の生い立ちを「ちっとも不幸だと思えない」メンタルのタフさが「優子ちゃんの不幸」みたいな、そんな風に読み取れるお話で、自分のスタンスについてアレコレ考えさせられました。
親子の距離感
本当に難しいですよね。
良かれと思ってやってることが、相手にとっていい迷惑なんて日常茶飯事です。
(「自分」という前例があるので)大人になったら案外なんとかなるってわかってることでも「そんなことやってたら将来困るんじゃ…」なんて先回りして心配してみたり。
心配するだけならまだしも、手や口を出してギスギスしたり。
とにかく毎日お互いに面白おかしく暮らしていきたいだけなんですけどね。
あーあ…
もうちょっとだけ語っていいですか?
2章の内容で、どうしても一言だけ語りたいことがあります。
ですが、もうここまでで、読むつもりの方は以下は読まないでください。
いいですか?
2章は大人になって結婚することになった優子ちゃんが、歴代の親に結婚の報告にいく話なんです。
そして、そこで初めて彼ら彼女らの「その後」と今の心境を聞くことになるのですが、これが…な、泣かせるんですよう〜。
前半難しい問いかけを散々ふっかけといて、後半は感動のホームドラマを読ませて来るなんて、本当にニクい本です!