『テイルズオブヴェスペリア』でこれからの正義を考える

ぼくは寝る前に30分ほどゲームをして異世界に逃避して、次の日の活力を得ることを習慣にしています。

最近は『テイルズオブヴェスペリア リマスター』をプレイしていたのですが、このゲームの物語について語りたくなったのでお時間ありましたらお付き合いください。

【PS4】テイルズ オブ ヴェスペリア REMASTER

【PS4】テイルズ オブ ヴェスペリア REMASTER

 

魔法とヒエラルキーの世界

物語はこの世界の帝都を舞台に始まります。

帝都では徹底した身分制が敷かれていて、貴族と庶民とでは生活ぶりに天と地ほどの差があるんです。

そして、貴族の身分は、家柄や出自で保証されているもので、個人の能力とは無縁のものなんですね。

この世界には、ファンタジーもので一般的に「魔法とか魔力」と呼ばれているモノが存在していて、空気のように周辺を漂っているものを「ブラスティア」という道具を触媒として、人が自由に使える原理になってます。

人々は、ブラスティアを使って、火をおこしたり傷を癒したり、インフラを整備したり国に結界をはって魔物を退けたり武器にして戦ったりしています。

親友同士のユーリとフレン

そんな世界を舞台に物語の軸になるのが、主人公の「ユーリ」と親友の「フレン」です。

2人は「人々が皆平等に安心して平和に暮らせるように」と揃って騎士団に入団するのですが、貴族の身分制が騎士団の中にも浸透してしまっている現実を目の当たりにし「こんな腐った組織に所属していても夢は実現しない」と判断したユーリはあっさりと騎士団を辞めてしまいます。

f:id:rito-jh:20190823174847p:plain

ちょっと盗賊っぽいデザインのユーリ

対してフレンは「ぼくが内部から騎士団を正す」と、上り詰めることを目標にします。

f:id:rito-jh:20190823174906p:plain

「正統派騎士」ってデザインのフレン

騎士団を去ってもフレンはユーリのことを親友だと思っています。

しかし、ユーリは志に向かって歩みを止めないフレンに対して、尊敬しつつもちょっと劣等感を感じてる雰囲気です。

物語はそんなユーリが自宅で鬱々としながらゴロゴロしてるところから始まります。

下町で水道管の制御をしているブラスティアが何者かに盗まれ、生活用水が使えなくなる事件がおきるんです。

対応の遅い騎士団に文句を言いに城へ行ったユーリは、そこでばったり出会った貴族の女の子に「ここから連れ出してください!」と言われます。

彼女が物語のヒロインの「エステリーゼ」(愛称はエステル)です。

f:id:rito-jh:20190823175041p:plain

「下町の事件など知ったことか」と騎士団に全く取り合ってもらえなかったユーリは、エステルとともに、犯人の手がかりを追って帝都を後にすることになるのですが、このことをきっかけにユーリは世界の命運をかけた戦いの中心に飛び込んでいくこととなるのでした。

「ある出来事」がきっかけになって話が俄然面白くなる

その後、旅先でユーリたちが直面する「ある出来事」で、この物語は俄然面白くなるんです。

その話を書こうと思うのですが、物語前半の大きなネタバレになるので、すでにこのゲームをやるつもりの方はここまでにしておいてください

 

 

いいですか?

 

 

とある街に立ち寄ったユーリたちは、その街に帝都から派遣されていた執政官が私利私欲のために街の人たちに対して非人道的な行いをしているのを目にするんです。

その行いは、多くの死者が出ているような悲惨なものでした。

ユーリたちはその執政官の悪事を暴きます。

騎士団に連行される執政官。

その街は救われ、人々が死ぬことはなくなりました。

しかしユーリたちは後日、その執政官が、権力にモノを言わせて軽い罪状となり、早々に自由の身になったことを知ります。

国の法に絶望したユーリはある決心をします。

 

この執政官を、「暗殺」してしまうんです。

「正義」とは?

このユーリの決断にフレンが苦しむことになるんです。

執政官は多くの人の命を奪っているので、極刑になってもおかしくないのかもしれません。

しかし、その判断を個人が下していいのか?

「法」が裁くと言いますが、法だって人が作ったものです。

個人だろうが法だろうが、人であることには変わらないのかもしれません。

 

以後物語は「正義とは何か」を問う展開となるんです。

これが、ぼくらの社会で今起こってるいろんな問題を想起させて、妙にリアルなんですよ。

そしてぼくは、平成ライダーの3作目である『仮面ライダー龍騎』を思い出しました。

当時、13人のライダーが殺し合いをする展開に衝撃を受けたのですが、この13人は皆「個人的な正義」を胸に掲げていて、自分が正義になるのだから相対的に相手が悪になるという理屈で戦うんですよね。

監督さんのインタビューで「9.11テロを受けて正義とは何かを子どもたちに問いたかった」と答えられてたのを記憶しています。

(ちなみに龍騎の次の「剣」は、仮面ライダーを「見返りを求めない正義の味方」ではなく「お金を稼ぐための職業」として描いたところがろが「面白いな!」って思いました)

それまで信じることができた「巨大で絶対的な全人類にとっての悪」はもう存在しなくなったんだな、と思いました。

仮面ライダー龍騎は2003年の作品ですが、あれからもうすぐ20年経とうとしても「正義とは何か」という問いの答えが出てないのかもしれません。

そんなことを、ついつい考えさせられた物語でした。

あ!

ヒロインであるエステルに課せられた運命も、「全体の幸福のために個人が犠牲になるのは正義か?」といったテーマなんですが、長くなってきたので今日はここまでにします。