「知らなかった」が許されるコトと許されないコト

パソコンと睨めっこばかりする仕事が続いた時って、iPhoneの画面すら見ることが億劫で、そういう時ぼくは紙の本を読み耽ります。

このブログで読書感想記事が短い期間に続いた時は「あ、りと忙しいんだな」って思っていただければ幸いです。

年始早々めっちゃ忙しかったのですが、ちょっとしたトラブルが起きたことが原因でした。

その発端が、ぼくが受け持ってる仕事の中で「知らなかった」ことが理由で見落としてしまった案件があったことなんです。

なんで知らなかったかっていうと、去年はぼくの担当してた仕事じゃなくて、引き継ぎで漏れてたからなんですね。

一応なんとなかって、上司からも「いよいよオオゴトになる前に気づいてくれて助かった」と言ってもらったし、前任者さんも「すみませんでした」と謝ってくれました。

でも実を言うと、ぼくにもっと知識があって、引き継いだ書類も目を皿にしてよく見ておけば、もっと早くバタバタする前に気づけたんですよ。

そう考えると「あーしまったなー」って思いますし、前任者さんが謝るのも申し訳ないんです。

あ、「自己嫌悪で今メンタルボロボロです」とかじゃないんですよ。

うっかり「ミスする」とか「忘れる」とかなら予防策が講じられるのですが「知らない」ことに対してどう対処すれば良いのかなー?って思ったんです。

この「知らない」ってのは本当に厄介です。

酒の場での立ち振る舞い方を「知らない」新社会人。

彼女の両親に結婚の許しをもらいに行くときにどういう態度を取れば良いか「知らない」彼氏。

親が死んだ時の葬儀の段取りとか何から始めれば良いか「知らない」息子。

全部ぼくなんですけどね。

でもこれだって「自分が知らない」ってことを知っていれば、ネットで調べたり相談したりできます。

あと親はまだ健在です。

でも、ぼくは今回「自分が知らないことを知らない」状態だったんですよね。

昨年、とある国の環境大臣さんが、環境サミットでステーキ美味しそうに食べてドン引きされてましたが、あれだって「ステーキを食べるためにどれだけの水が必要なのか?ってことを考えたら食べるべきではない」ってのを「知らないってことを知らなかった」からだと思うんですよ。

「立場上そこは押さえとけ」ってことでもあるのかもしれませんが「知らなかった」って部分に関して言えば、今回のぼくとそう変わらないなーって思えたりしました。

もうこうなったら、そういう時は「すみませんでした」って謝るしかなくて「人は間違いをおかすもんだ」って「お互い様」の精神になるしかないのかもしれませんね。

そうやって、今回のミスに関しても自分に甘くなってしまうぼくでした。

甘くなる繋がりで、ケーキを食べるジュリアさんのイラストを貼ってお茶を濁しておきます。

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