「お得情報」を手に入れるために「時間を損している」ような気がする

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最近「もうやめよう」って思ったことがあって、何かって言うと、何かを買う時に「お得情報」を延々と探す行為です。

どこで買ったらお得なのか、どういう買い方をするとお得なのか、どのタイミングで買えばお得なのか、これらの視点だけでも悩ましいのに、組み合わさったものをうっかりネットなんかで探し始めるとほぼ無限の可能性があるわけなんですよね。

ぼくは今まで「無限の可能性」っていうのはとてもイイ言葉だと思ってたんですが、これは「奈落の沼」と同義であることに最近気がつきました。

気がついたら有限でいくら積んでも買うことのできない「時間」を莫大に消費してしまうんです。

恐怖すら感じてしまいました。

というわけで、最近は「必要だな」と思ったものに関しては「一番買いやすい方法で買う」ってことにしています。

品質について安心できるというメンタル的なことと、使うまでの時間と手間が少ないっていう身体的な両方から見ての「買いやすさ」です。

後のことは考えない。

「もっと他に安いのがあるんじゃないか?」

とか

「もっとお得な割引があるんじゃないか?」

とか

「もうちょっと待ってたら安くなるんじゃないか?」

とか、もう気にしない。

そう、「気にしない宣言」です!

そして実は、一度「気にしない」と決めたら色んなことが楽になった気もします。

「即決することで時間を得してる」と思えるようになりました。

色んな情報を手繰り寄せることができなかった時代、人は近所の専門店から必要なものを買ってたと思うんですよ。

どこで買うか、なんてことを悩む余地はなかったわけですよ。

それが、車で買い物に出かけられるようになり、あちこちにショッピングモールが立ち並び、ネットで世界中から商品送ってもらえるようになって、選びシロが無限になったせいで今度は自分のところで買ってもらおうと思って色んな付加価値をそれぞれが付け始めて、こっちはその中から選ぶのがめっちゃ大変になってしまってるってことですよね。

どうも人間というのは、便利になるとその分を埋め合わせる「苦労」を生み出そうとする性質があるのかもしれません。

職場で大先輩方がよくいう「パソコンが導入されてから忙しくなった」というのも同じですね。

こんな便利な機械ができたというのに、楽になろうとは思わず、逆にどんどん仕事を増やしてしまったわけです。

「ずっと誰かと繋がっていたい」という思いから、携帯電話やSNSで四六時中お互いに繋がれるようにして逆に息苦しくなったり、「苦しいことを忘れたい」と願いながら飲んだお酒で、飲みすぎて翌日二日酔いで苦しんだり、人間って愚かしいなって思うのですが、そんな愚かしくて不完全なところがまた愛着が湧いたりして、人間って面白いなって思ったりします。