ぼくらはスケスケの小宇宙に住んでいる

今日は岡村隆史さんのラジオでの発言についてのニュースで思ったことを書こうと思います。

「んー深夜ラジオってそういうゲスい話をして盛り上がる文化じゃないっけ?」というのが見出しを読んで感じた最初の印象でした。

しかし、それはぼくが昔からのラジオ好きだからそう感じただけかもしれなくて、その後本文を読んでみて「あ、確かにこれは今のご時世言っちゃダメなヤツだな。」と思いました。

この「ソコはそういう文化では?あ、でも一般的にはあかんやつだわ…。」という構造ですが、最近よく見かけるようになった気がします。

パッと思い出せるここ数年のニュースで言うと『週刊SPA!』が掲載した「ヤレる女子大生RANKING」という記事とか、あいちトリエンナーレの事件とかです。

「議員さんが地方の講演会でうっかり失言した」なんかもおんなじ構造だなって思ってて「発信者が想定していなかったユーザーに情報が届いてそこから発火してる」んですよね。

『週刊SPA!』のときは、雑誌を購入した人ではなく、問題のページのスクショがネットで広まっていたそうです。

あいちトリエンナーレも、来場者じゃない人がネットで見て反応してました。

今回の岡村さんの発言も「オールナイトニッポン」のファンの方から広まったのかどうかが気になったのですが、ちょっと拾えませんでした。

今回の発言についての是非は置いといて「想定してない人のところに情報が届く」っていうのは、ぼくらは肝に銘じておいた方がいいなってつくづく思うんです。

ブログで発信するだけでなく、日常生活でも、仕事で何かを発信する時も。

ゼロ年代の頃、ネットとSNSが普及したことで、趣味が細分化されて「国民的人気◯◯」とか「お茶の間」とかそういった大きな範囲をフォローするものが解体されてくのを目の当たりにしました。

なのでこれからは、ひとつの銀河系にみんなが一緒に暮らすのではなく、小宇宙がたくさんあって、ニッチな趣味や嗜好の人も同種族を見つけてそれぞれの宇宙で平和に暮らせるようになるんだと思ってました。

でも、この小宇宙は外から丸見えの全面ガラス張りのスケスケ状態だったのかもしれませんね。

そう言えば、伝統的な日本家屋は障子や襖で仕切っただけの情報ダダ漏れのプライベート空間でした。

もっと遡れば、江戸時代の長屋的なものが今のネット上のコミュニティなのかもしれません。

ぼくらにはDNAレベルで長屋スピリットが染み付いてるのかもしれません!

ただ、「ダイバーシティ」ってこういうものなんじゃないかな?とも思うんです。

全く違う文化の人たちが、肩寄あって袖振り合って生きていく。

なので、異文化の「それはちょっと…」って思うものに触れたとき、いきなり「お前は悪だ!」て言うんじゃなくて「自分たちの文化圏ではよくないことなんですけど…」という物腰で相談しにいき、相談された側も「え?そうなの?じゃあ、どうしようか…」と考える。

そーいうのが大事なのかもしれないな、って思いました。

綺麗事かも?ですが、そーいう平和なのがいいなぁって思うんです。