クレームではなく意見を心がけたい

とあるお店で「ん?」って思う対応をされてしまいました。

正直な話をすると、若干イラっともしました。

こういう時「クレーム言ってやろうか!」という気持ちを乗せた列車が脳内で発車するのですが、直後に「言ったところでなぁ」って気持ちを乗せた特急が発車し並走し追い越します。

「鬱陶しい客が来た!って思われるだけなんだろうな~」って思っちゃうんです。

「私は怒っています」って気持ちを吐き出すことでスッキリするかもしれないんですが、王様の耳はロバの耳的に、掘った穴に吠えてるだけなんだろうな、と思うわけで、ぼくはそういう意味では「自分に嫌な思いをさせる相手には極力関わりたくないな」と思ってしまう、そして無駄だなと思うことには労力を割きたくないドライなヤツなんだろうなー、と自己分析をしてしまいました。

それでも一応「私は今、こういう理由で不快に思いましたが、もしご理解いただけたなら今後のサービス向上に役立ててください。」みたいなことは言いました。

でも、これだってバイトだったり「俺はこの会社で定年まで勤め上げよう!」って気がない相手には暖簾に腕押しかもしれないですよね。

「何その上目線?何様?」的な。

ちなみにあんまり通じなかったみたいで、元々人の心の機微に鈍感な方なのかもな、と思い、ぼくも以後、自動音声案内に対応してもらってるようなつもりで受け答えをしながら「将来介護とかしてもらうならAIのロボットとかがいいな」とか考えてました。

自分の職場で若いもんがミスしたときに叱咤するのは、一周して全体のメリットになるし、案外「熱心に指導してもらってる」てのも信頼関係構築に役立ったりしますよね。

でもなんか、こーやって「親身になる」ってのは、文字通り相手を我が子のように扱うってことで、つまり擬似家族になろうとする行為であって、その一方で「とはいえ仕事ですから!」とあくまでビジネスライクに徹する面もあります。

それこそバブルの頃の企業のような「上司がマイホーム建てたら休日に引っ越しの手伝いに行って代わりに庭でバーベキューご馳走になる」とか「バリバリ働く男性社員の花嫁候補として短大卒の女の子が採用になる」みたいな話はぼく世代ですらすでに御伽話になっていて、休みの日に一緒にゴルフすら勘弁してくださいってなってるのに、どこかで「情」みたいなものも信じてたり、海外の店員さんの「文句があるならウチに来るな」みたいな対応に「さすが日本はおもてなしの国だ!」みたいに誇らしく思ったり、そーいえば「お仕事は?って聞かれたら、海外では仕事の内容を答えるのに対して日本人は会社名を答えて主体がない」なんて話も聞いたことあるな〜とか、いろんなことを芋づる式に考えたりしながら抱えたイライラを揉みしだきながら帰路について、こうやって記事に書いてるうちになんかすっきりしてきた現在です。