前回60歳になった時の話をしたばかりだというのに今日はぼくは10歳だったということに気がついたお話をしようと思います。
きっかけは加藤締三さん著の『「大人になりきれない人」の心理』という本を読んだことでした。
この本は「身体ばっかり大きくなっても心は5歳児のままの大人が増えた」ことについて言及し、そんな5歳児の大人の心理について説明がなされてるんです。
詳しくはぜひ読んでいただきたいのですが、ぼくなりの解釈で要約するなら、子ども時代に、年齢に応じた愛情と負荷を段階を経て与えてもらえなかった人は心がうまく成長できずに育ってしまう。そんな人に大人になって降りかかる社会的責任は耐えられない。5歳児の大人にとって社会は地獄でしかない。まだ子どもなのに重い責任を負わされ働かされ、自分が子どもなのに子どもの面倒を見なければならない。そーいう人が昨今増えてきた。
…という内容でした。
ドキッとしました。
ぼくが生きてて「しんどいな」って感じてることを見事に言い当てられた気がしました。
ただ、読んでるとさんざん「お前の心は子どもだ!」と言われるんですが、なぜ子どものままなのかを冷静に分析してくれているので、むしろ読んでて救われる気がします。
「たしかにお前の心が子どもだけど、それはお前のせいではない。そしてそんなお前が生きていくのは本当に辛いことだ。社会は子どもが心の大人を許さないし、理解もしてくれない。おまえはよく頑張ってるよ。」と言ってくれてるような気がするんです。
ぼくの親はめっちゃ古風な人だったんです。
ぼくは10歳のときに「今日からお前を大人として扱う」と言われました。
いくら古風とはいえ、元服は15歳なのになんで10歳なのかはよくわかりませんでしたが、それ以降本当にきびしかったです。
まぁ、この時同時に「ただし20歳過ぎたらあとは自分の責任だからそれ以降は何も言わない」とも言われ、それは後に本当に実行されました。
とはいえ、多感な10代が本当に辛くて、この10年間は文字通りぼくにとって「黒歴史」です。
と、別に毒を吐きたいわけではなくて、今振り返ればこれはぼくの親なりの「大人になって困らないように」というぼくを思っての愛情で、大学に行かせてもらったことも、その後何年かフリーターしてても放っておいてもらったことも感謝しているんです。
でも「ぼくの今感じてる辛さの原因はここにあったんだなぁ」としみじみ思いました。
この本に書かれていること全ては当てはまらないんですが、いくつかは思い当たる節があって、それはぼくが生きるのが辛くなったのが10歳の時の「親の宣言」からだったこととやっぱ関連してるんだろうと思うんです。
なので、ぼくは5歳児の大人ではなく10歳児の大人なんだろうと思います。
そして、ぼくみたいなとっつぁん坊やが救われるために必要な3つのものを提示してもらえました。
「特技を活かすこと」「外に仲間を作ること」「趣味を持つこと」だと解釈しました。
これがぼくには妙に腑に落ちてしまいました。
ぼくにとって、絵を描いて、絵について友達とわちゃわちゃすることは救いだったというわけです。
これらが見出せなかった5歳児の大人はカルト宗教(宗教全てではなく、胡散臭い系限定です。)にも走ると繰り返しかかれてました。
それもなんだかよくわかります。
適正な時期に適正な愛情を注いでもらえなかった人は、他のものに愛情を求めるんですね。
そしてそこにすっとカルト宗教が入り込んでくるってわけですが、多分ぼくはそこに運よく絵を描くことが入り込んでくれたんです。
だからぼくにとって絵を描くことは信仰であり祈りであり救いであり、ぼくから絵を描く時間を奪うものはぼくにとって「悪」になってしまうんだろうな〜と。
なんかこう、いろんなことが妙に腑に落ちた、そんな読書でした。
心が子どもの大人にとってこの世がどんなに地獄か、その地獄でどんなに本人は苦しんでるか、でもこの地獄は正常に育った人にはどれほど理解できないか、という部分について多くのページを割いて熱く語られてるので「で、どうしたら私の頭上に蜘蛛の糸は垂らされるんでしょうか…!?」と焦らされるんですが、心当たりがある方にぜひお勧めしたいっす。