りとブログ

イラストと読書と雑記のブログです

また今日が終わる(ただしこの記事は予約投稿なので夕方配信です)

年齢を3で割ると、だいたい「一生を24時間に置き換えたらいま何時か?」て例えられるじゃないですか。

たいてい若い人向けの話で、「みなさんはまだ朝の早い時間で、これから新しい1日を迎えるのです。」という希望に満ちた話なのですが、ぼくくらいになるとちょうど昼食後くらいになるわけで「そりゃ眠たいわけだ」とか「昼休憩なしで働きづめなのですが何か?」みたいな話になるので、若い人にこの例えでエールを送る方は、数年後にこの辺りの件についても責任を持ってくださるのかな?ってことが気になります。

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若い頃は寒さもへっちゃらだったのにな…

同じような話で、偉大なプロジェクトとか大人気になった商品、革命的な施策なんかについてあとで振り返るドキュメンタリーとか観てると、必ずといっていいほど「当初は反対意見がとても多かった」というエピソードが語られますよね。

ここで反対意見を述べた人たちは、キチンと自分が失敗するだろうと思ったものが大成功したことを反省したのだろうか?というのが気になります。

あ、反省といっても「謝罪しろ」とかそーいう意味ではなく「なぜ自分が思った通りにならなかったのか?」ということについて振り返って、考え方を修正していかないと、いつまでもその人はチャンスを掴めないのではないかと思うんです。

こういう部分は政治なんかでも見かける話で、数年前にタッグを組んでやんややんや言ってた人同士が、その後敵対して相手のこれまでやってきたことをバシバシ否定したりってありますよね。

こういうのって、その人が悪いんではなくてそーやってヤイヤイ揉めてるのを見てるのが好きな人が多いってことなのかもなーって思ったりします。

プロレス観戦みたいな。

なので先ほどの「反対意見を述べた人たち」も、「成功する前にこんな苦労がありました」というエピソードのためにのみ登場するモブ役であって、役目を終えたら即舞台から降りてください的な、そーいうポジションなのでしょう。

でも、多くの人は、そうやってみんなと一緒になってちょっと変わったことをする人を変な目でみて文句言って、偉大なことは成し遂げることなく人生を終えていくわけです。

とはいえそれでも、日々のなかにちょっとした楽しいことや嬉しいことはあって、そういうものをひとつひとつ大切に拾って行きながら「まぁそこそこの人生だったな」って思いながらこの世を去って行けたらそれはそれで幸せなことなんじゃないかとも思うんです。

そんなぼくもしがないサラリーマンで、社会の歯車のひとつでしかありませんが、しかし歯車だって一個なくなるだけで機械全体が動かなくなってしまう大事なパーツなのだから「せめて替えの効かない歯車になれたら良いな」なんて思ったりしながら、カリオストロの城に出てくる伯爵のラストを眺めてた23時でした。

また新しい1日が始まります。