あの頃ぼくはら飛沫を飛ばして「遊ぼう」と叫んだ

ぼくの子どもの頃の記憶なのですが、友達の家に遊びにいくときって、当然学校の帰りがけに約束することもありましたが、気が向いたときに不意打ちで意中の相手の家の前に行き、外から「さ〜つきちゃ〜ん!」って大声を出してました。

呼ばれた方はそれ聞いて「あ、だれか来た。あの声はアイツかな?」みたいな、そんな対応をするんですよね。

で「おーあそぼーぜー!」とか「いま無理〜」みたいな返答を窓から顔出して言ったりなんかして、「無理」って言われたら仕方なく別の遊べそうなヤツのところへ流浪の旅に出るみたいな、それが普通だったような気がします。

流石に小学校高学年くらいになると、インターホンを押してた覚えがあるんですが、いざ自分が小学生の親になってみると、そーいう風習がないことに気がつきました。

代わりにママ友同士でLINEで「ウチの子が遊びにいくと言ってるんだけど〜」とやりとりしてますね。

おそらく子ども同士で通信手段が確立したら、ママ友同士の連絡も介さなくなるのかな?

地域差とかあるかと思うんですが、今はだいたいどこもそんな感じなんでしょうか。

「古き良き」なんて言うつもりはないんですが、あの「さ〜つきちゃ〜ん!」をやらなくなったのはどのあたりなのかな〜?って気になりました。

これをお読みのみなさん、どうですか?

あいての家の前で、名前を呼んでました?

それにしても、ウチのまわりの小学生は、なんかぼくらが子どもの頃ほど徒党を組んで遊んでないような気がします。

遊ぶ場所がなくなっちゃったのか、ぼくらの頃にくらべて忙しいのか、家の中に楽しいコンテンツが増えたのか。

なんの本で読んだんだったかな?「子どものための場所」は作っても儲からないから、資本主義社会は子ども不在の街をつくるらしいんですよね。

ぼくらの頃は、それでも隙間に遊び場を見つけで遊んでましたが、効率化が進むとそんな隙間も全部コインパーキングやレンタル倉庫になってしまって、なくなっちゃったのかな?

「忙しさ」についても、なんかぼくらの頃より大人になるまでの筋書きがはっきり書かれてますよね。

ぼくらは「とりあえず良いところに進学すれば良い人生が待ってる」みたいな感じでしたが、あれはバブル崩壊とともに泡になりましたもんね。

今は従来の勉強にプラスで手探りでキャリア教育をされてる感じがします。

家の中の楽しいコンテンツに関しては、もはや説明の余地なしで、YouTubeは無限のおもしろ動画を提供してくれるし、世界中のお友達とペンキまみれになれる遊び場も、DIYして作り上げた自分だけの家も、テレビ画面の中にありますもんね。

この状況は、おそらく今後さらに進みますよね。

フィジカルな交流が減るのは可哀想だと思いつつも、子ども同士の濃厚接触は親としては気を遣います。

また、考え方によっては「足が遅いから」という理由で、ぼくらの時代には鬼ごっこからハブられたら子が今度はヒーローになれる可能性も出てきてます。

レディ・プレイヤー1みたいな世界はぼくら文化系にはユートピアかもですね。

なんかこう、新しいステージで楽しい付き合い方をしてってくれればいいな〜なんて思います。

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