不要不急の線引きはみんな違う

仕事めっっちゃくちゃしんどかった週末のおやすみ、このまま家にいたら心がクサクサしてどうにもならない、このままだと次の1週間のメンタルに支障を来たす…こーいうときは、図書館に行って本をザッピングだ!

なーんて時の外出って、ぼくにとっては「不要不急」じゃないんですよね。

改めて思うと「不要不急」って難しいですね。

難しい問題を難しいまま「なんとなく」にしておくのって、結構大事なコトなのかもしれません。

「常識の範囲内」ってのも、現代社会が生み出した処世術だなーって思うんです。

この範囲って本当に十人十色でグラデーションがあると思うんですよ。

「当然みんなオッケーでしょう!」ってラインもあれば、「まあセーフ」って部分や「アウトスレスレのセーフ」ってとこまで人それぞれあって、「まあみんなの意見を集約するとこのあたりが落とし所っすかね」って部分を共通認識の「常識の範囲内」にするってのがきっと健全ですよね。

こないだ「コンテクスト」って言葉に触れた記事書いたんですが、この、フワッとした表現で皆で共通理解ができる状態のことを「ハイコンテクスト」って言うらしいんですね。

なんかカッコいい言葉なんで、折に触れて使いたくなりますよね、ハイコンテクスト。

たとえば、美女の前に天使が舞い降りてて、祝福の印を結んでる絵を見たら「ああ、これは受胎告知のシーンだな」とか、前髪で片目が隠れてて腕に包帯巻いてて不思議なポーズを取ってるキャラを見たら「これは厨二病キャラだな!」とかみんなわかる状態は、ハイコンテクストです。

こうなるのって、ちょっと時間がかかりますよね。

今って物事の流れも早いので、一つ一つにそんな時間がかけられなくて、声の大きい人や他の人の意見を聞き入れない人が「おれの常識の範囲はこうだ!」みたいに言っちゃうと「おお、そうか」みたいになたったり「そーじゃないだろ!」て反論が起きたりで現場が混乱するから「お上はもっとハッキリした態度を示せ!」みたいな話になっちゃったりして、今回のコロナは今の世の中の難しいところがベロリと剥き出しになった感がありますよね。

うがった見方をすれば「オレたち共通認識作れないからお上がしっかり白黒つけて旗を振れ!」と言ってるようにも見えます。

「暖かくなったらウィルスの活動がおさまる」とか言われて「じゃあ2、3ヶ月の辛抱かなー」って思ってたのが、春には緊急事態宣言になっちゃって、夏になっても収まらなくて、そうこうしているうちにどんどん気温が下がってきて、なんだかんだでもうすぐ1年ですね〜、って今日この頃ですが、感染者数だけ見るとすごいことになってしまってて、これはもう、元通りになるには年単位の時間が必要な感じですね。

もちろん、明らかに感染を拡大するような行動について「これがあの人の常識の範囲内かもしれないじゃないっすか!」みたいな擁護をする気はないのですが、なんかこう、いよいよぼくらは異世界にやってきたとか、そんなふうに考えて、いろんなものの考え方をマルっと変えていかないといけないんだろうなーなんて思いながら、正月をぼんやり過ごしていました。

正月にかんがえたことを今更記事にしてるのは、いつも通りこのブログが予約投稿を連発しているからです。

そう「いつも通り」が大事なんです。

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