練習すれば上手くなると知ってるからこそ辛い時もある

ぼくは「絵は才能じゃない」と思ってるんですね。

このことについては、過去に何度がブログで書いたことがあるので、今日の「関連記事」に出てくるかと思います。

絵は才能じゃなくて、練習したらしただけ上手くなるもので、続けられるかどうかは、才能というより、資質とか集中力の問題のように思えます。

そしてこれは、人としての能力がそんなに高くないのに絵を描くことを好きになってしまったぼくにとって、福音であると同時に呪いです。

練習しただけ上手くなれるってことは、練習する時間を確保できなければ上手くなれないということです。

このことは就職してからずっと、指に刺さった小さな針みたいにチクチクしてます。

長いこと読者登録してくださってる方はご存知の通り、ぼくは日々の隙間時間を積み重ねて絵を描いています。

重ねて重ねて、寄せて上げて、やっと多い日で2時間とかなんですが、このときの「1時間50分」あたりのチクチクがすごいんです。

なにか創作される方は同意してくださるんじゃないかと思うんですが、創作って取り掛かるときにパワーが必要なんですよね。

でも、いったん始めると徐々に気分が乗っていって、あとは集中力が続いてる間は絶好調状態になります。

車のガソリン消費量に似てますね。発車するときにたくさん消費して、同じ速度で走り続けてる時はそんなに消費しない、みたいな。

で、この絶好調期間なんですが、おそらく個人差があるとは思いますが、ぼくは開始90分あたりからゾーンに入ります。

つまり、いくら1日に絵を描く時間がたくさんあったとしても、それが1回30分くらいずつの細切れであったなら、それは渋滞中のノロノロ運転のような燃費効率の悪い状態なんです。

こういう描き方が続く時、ぼくは溜まった鬱憤を晴らすためにブログに添付してるアイキャッチ画像みたいな殴り書きイラストを書き散らしてモヤモヤを発散します。

そして、それ以上に苦しいのが2時間くらいで切り上げないといけない時なのです。

トップギアに入った直後にブレーキを踏まなければならない感じです。

これがすごく苦しいというか、不完全燃焼というか、おおううーってなります。

仕方ないことだともわかってるんですよ。

若かりしぼくは、全てを投げ打って絵描きになる道を選べるほど豪胆ではなかっただけのことです。

これもよくブログに描いてるんですが、本屋の画集コーナーに行けば、伊藤若冲さんをはじめ、たくさんの40歳とか50歳くらいから絵描きとしての第2の人生を送った綺羅星の如き大家がいるわけです。

なので、ひょっとしたらぼくはまだスタートしてないだけかもしれないんですよね。

でも、本当に絵を描く時間は増えるのだろうか?

そんな考えも浮かんできたりして、それはそれで不安なんですよね。

とか考えながら、今日も制作を1時間50分で切り上げて絵筆を洗ったところです。

弱音にお付き合いいただきありがとうございました。

ちょっと元気出ました。

たまに愚痴ったり、ブログでコメントもらって元気もらったり、そうやって付き合っていくしかない気持ちですよね。

ありがとうございます!

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