ぼくの好きな美術作品のひとつに『L.H.O.O.Q』という作品があります。
これはマルセル・デュシャンという、男性用便器にサインを書いて「泉」ってタイトルで発表したことで有名な作家さんの作品なのですが、レオナルドのモナリザのポストカードに、落書きのように髭をピロピロっと付け足した作品なんですね。
デュシャンのこういう技法はレディメイドって言われてて「何もないところから世界を生み出すからアートは偉大だ」っていう固定概念に対するカウンターだと言われてます。
モナリザファンをおちょくっているように見えるし、タイトルをフランス語読みした「エラショオキュ」は「彼女はお尻が熱い」という、性的に興奮していることの暗喩なんです。
でもこれは、こういう風にも解釈できると読んだことがあるんですね。
モナリザをレプリカを使うことで「レオナルドさんと肩を並べられるような偉大な作家になりたい」、そして髭というちょい足しの要素を加えることで「レオナルドさんを少しだけでも越えたい」という意味になると。
昔読んだ本に書いてあって感動したんですが、今ネットで調べてもどの本だったか出てこないので引用は不明確ですとお断りさせていただきます。
レオナルドが生きた時代に、当時の美術史家だったヴァザーリって人は、人類の芸術はすでに頂点に至った的な言葉を残していて、ルネサンスの次にくるマニエリスムの時代は、ルネサンスをどうアレンジするかっていう歴史だったことも、この作品は踏襲しているように思えるんです。
当時を生きていなかったぼくは想像することしかできませんが、当然批判もすごかったと思うんです。
ネットがあったら大炎上だったかもしれないですよね。
でも、今やデュシャンのやったことが現代美術の扉を開いたことは間違いないわけなんです。
最近、中国で葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の「パロディ」が世間を賑わせてるみたいですが、なんというかアートの話ではなく政治の話になっちゃってるのがすごく勿体無いなって思います。
現代アートってなんでもありって思われがちですよね。
でも、現代をアートで切り取ってるもだと思うんです。
そして、その現代には当然政治だって含まれるはずですよね。
でも、政治の道具になるのはやっぱ違うっていうか。
おそらく多くの人がタイトル聞いたら思い出せるドラクロワの「民衆を率いて戦う自由の女神」って作品だって政治がテーマですよね。
ジェリコーの「メデュース号の筏」ももろに政治批判。
ただ、こうやって政治とアートを結びつけちゃう人は「一部の変わった人」って感じになんか見られがちですよね。ぼくも含め。
だからといって、
「お前らアートリテラシーが足りてないんじゃ!歴史を紐解け!」
っていうのもマウントなので、そーいうんじゃなくて、怒りや蔑みはひとまず置いて、穏やかに、アートをアートとして語り合えたら楽しいだろうなーって思うんです。
ちなみにデュシャンは、LHOOQの後には、今度は「髭を剃ったLHOOQ」ってタイトルでモナリザのポストカードをそのまま作品として発表してるんですよね。
こーいうユーモアって、楽しいですよね。
ただ、これだけネットが普及してコピーや無断転載が簡単になってしまった時代に、今後こういうコラージュ的、レディメイド的なアート表現がどういう立ち位置になってくのかって、結構興味深いです。
ぼくらがよくやる、フリー素材をテクスチャとして貼るのもレディメイドっぽいですしね。
髭を剃ったマリオ
髭を剃ったジュリアさん
よく描けたんで色塗ろうかなぁ〜って思いまして。
前はこの辺りで線画と色のレイヤーと統合しちゃったんですが、もうちょっと丁寧に進めてみようかと思いまして。
ここまで塗ってから、レイヤーを1枚にしてみたんですよ。
で、できたのがこちらで、ブログのヘッダー画像最近飽きてたので変えてみました。
お絵描きは楽しいです。