先日図書館でザッピングしてたらハッとするフレーズがありまして、でも慌ててそのフレーズだけメモったので出典とか控えてなくて、その点ご了承いただいた上でメモった内容について書かせていただきます。
人間の脳の発達において、一度自分が口にしたことを訂正するのって実はすごく高度なことらしいんです。
なので小さな子は、一度口にしたことは嘘でも「言い張る」んだそうです。
しかし、あるときから「たぶん」という枕詞を使えるようになるんだそうです。
これは「今はこう思ってるけど、あとから考えを変えるかもしれないよ。」っていう含みを前提にしてるっていう、脳の高度化の発露らしく、子どもが「たぶん」って言葉を使えるようになるのはすごく大事なことらしいんです。
ここのところ、メディアを中心に、曖昧な表現に対しての批判をよく見聞きするようになった気がします。
これは、人類の脳の単細胞化が進んでいるってことではないのか!?と思ったわけです。
よく考えたら、新型コロナなんて未知の病原菌について、最初っから正しいことを言える人はいないのが普通なはずですよね。
だから新型なんですよね。
ガンダムの性能にはシャアですらびっくりさせられっぱなしだったじゃないですか。
なのに「専門家なんだから正しいことを言え!」っていうのは、酷な話です。
専門家の皆さんには「今はこう思う」ってのを発信してもらって、なんかあったら「こないだまでそう思ってましたけど今はこうだと思います!」ってその都度更新してもらって、こっちはこっちでそーいうことにいちいちめくじら立てずに「なるほど、了解!」ってなるのが良いんだろうなって思いました。
「前回と違うじゃないか!」とか怒られるのは誰だって嫌なので、ついつい口から出っちゃったことをそのまま言い通すことになって、いろんなことが拗れちゃった偉い人とか、たまに目にしますよね。
ああいうのも、ぼくらの訂正を許さない雰囲気が一助になってるのかもしません。
みんなが「たぶん」って思想でやりとりしてたら、今頃ひょっとしたらカフェで談笑する時代が戻ってたかもしれないし戻ってないかもしれないなー、なんて思ったんです。しらんけど。
この「しらんけど」ってフレーズですが、かつて話題になったことありましたよね。
あれも実は「・・・とは言いましたが、これはまだ議論の余地があるオープンなコメントです」って意味合いの締め言葉だったのかもしれないなーと改めて思いました。
もちろん、あんまりちゃらんぽらんな発言ばかりをされたら困ります。
言霊、なんて言葉がある通り、口から発したことには責任が伴うわけですが、今はなんかこう、責任という鎖でお互いに縛りあって、どんどん息苦しくなっていってるような、そんな感じすら覚えます。
なぜそう言うのかっていう根拠はちゃんと出してもらって、それでも違ってたらすぐ「ごめん、違ってた!」っていう緩い文化が求めらてるのかもしれません。
この記事も、本の出典が不明なくらいゆるゆるです。
明日もゆるゆるでいきましょう。