「聞く」は「恥じ」じゃないと思うんです

ぼくは中学時代本当に勉強ができなかったのですが、あれはつまり質問するのが苦手だったんだなあって今になって思っています。

大抵のことは、詳しい人に聞いて習得するのが1番手っ取り早いですよね。

「手っ取り早い」って言っちゃうと、なんか失礼な気がして気がひけるんですが、詳しい人はその人が詳しくなるためにやはり先人にいろいろ教えてもらったことに感謝をしていたりして、今度は自分が伝える側になってその恩を少しでも返したいと思ってたりしてくださるんですよね。

それに、教えを乞うてもらえたってことに自尊心もくすぐられますし、悪い気はしないもんです。

なのでほとんどの場合は快く質問に答えてもらえるし、快くない場合はその人の人生のピンチか何かが訪れてるタイミングかもしれないのでまた改めて質問してみればいいし、いつもそんな調子ならその人は師と仰ぐには値しないので他の人を当たればいいだけのことだと思います。

「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」なんて言葉もありますが、そもそも聞くことを恥前提で来て欲しくないなーって思います。

昔はそうだったのかもしれませんが、今の世の中は知識や情報はガンガンシェアしあって新しい発想を生み出してくのがいいですよね。

てなことを書いてると、ぼくはよくブログで「自分はコミュ症です」と吹聴しているので「この嘘つきめ!」とか思われたかもしれませんが、世間話ってやつは本当に苦手なんです。

プレゼン、スピーチ、ディスカッションなんかはまあそこそこできるんですけど、目的のない会話が本当に、ホントもう苦手です。

これは一体なんなんでしょうね?

ダイバーシティが謳われている時代にこんなこと言うのもアレかもしれませんが、よく「男性は目的のない買い物が苦手」なんてあるじゃないですか。

標的とした獲物に一直線に向かっていったオスのご先祖さまと、森を散策しながら食べられる木のみを集めていたメスのご先祖さまの名残だとかなんだとか、あれに通ずるものがあるんじゃないのかなー?とか言いたいとこなんですが、特に根拠となるデータも今手元にない状態です。

なんていう、ブログに書いてるようなことを現実社会で語る相手もぼくにはいなくって、それでも語りたいからブログを続けるモチベーションになってて、もはやモチベーションなんて良いものでもなんでもなく、王様の耳はロバの耳と穴に向かって吠えるような気持ちで毎回の記事を書いています。

ただ、王様の耳とちがって、ここはスターをもらえたりコメントをもらえたりするとても優しい世界なので、ホントいいですよね。はてなブログ。

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