偽善者で行こう!

ずっと読者登録をしてくださってるかたは心当たりがあるかと思いますが、ぼくはこのブログでたまに「自分は運が良かった」という話をします。

このご時世、ぼくの世代で「普通に暮らせている」ってことを指してそう思うのです。

ただ、全てを運任せにしたわけではなく、自分なりにできる努力は精一杯してきた自負もあります。

その努力のなかには「困った時は頼れる人に恥もなにも捨てて頼る」ってものもありました。

自分の力ではどうにもならないことに対して「この人になら頼れる」と思う人生の先輩のところに行き、あれやこれやご指導ご鞭撻を賜っていたのです。

自分なりに、迷惑にならない範囲でお願いをするように心がけていましたが、快く助けてくれる方ばっかりで、これまた運が良かったなーと思わずにはいられません。

そんな自分の20代を思い返すと、40代になった今、今度は自分が恩返しで、誰かに頼られたら微力ながら力添えをしなきゃなー、なんて、そんなことを思うようになってきました。

いままでだったら「めんどくさ!」って思ってた類のことも「自分も頼ってきたしな」なんて、そんなふうに思うと快く引き受けられたりすることもあります。

こーいう心境の変化も、面白いですね。

それこそ職場とかだったら、若手だけじゃなく先輩に何か相談されたりしても快くいけます。

主にデジタル系。先日も「保存したはずのデータがない!」て泣きつかれたんですが、「ご安心ください、マウスホイールをこうやってクルクル回して画面をスクロールさせると、ほら下の方にちゃんとありますよ!」と紳士的に対応しました。

こーやって、誰かに親切にしておけば、その人がまた別の人に親切をしてくれたりとか、自分もそんな連鎖の一端になれたと思うと気持ちいいなと思えたりとか、そんなことを思ったりします。

なんて、読み返してみると偽善っぽいこと言ってますね?

でも、偽善も「いいことをした」っていう自分の心の満足を得るための行為だと思うと、ちゃんとギブアンドテイクな等価交換な気もしてきます。

それでみんなWin winでラブ&ピースなら、それはそれでハッピーなことなんじゃないでしょうか。

そしてぼくは「こうやって小さな徳を積んでれば、いつか良いことかるかもしれん」なんて下心もあります。

ひょっとしたら、今までぼくが頼ってきた方々が、ぼくのお願いを快く引き受けてくださったのも、こんな偽善があったかもしれませんよね。

そしてそう思うと「迷惑かけたかも?」なんてぼくの負い目も軽くなったりして、これまたwin-winかもしれません。

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