ぼくたちは社会の歯車じゃない

先日、仕事で「よく頑張ったで賞」をもらった話をしたんですね。

ぼくはマズローの欲求五段階の最上階である「自己実現の欲求」がわりと満たされてるなーって思ったんです。

自己実現の欲求ってのは自分の中にある可能性とか使命とか、そういったものを達成させたいっていう、承認欲求が満たされた自分がそのスキルで活躍できたときに満たされるものなんだと解釈してます。

ブログで何度か書いてるとおり、ぼくの人生は20代の頃はなかなかにしんどかったけど、いまは恵まれたなぁ〜と思います。

「社会の歯車」って比喩があるじゃないですか。

何の個性もなく替えが効くパーツとなってキリキリ舞いながら働く様子の比喩だと思うんですが、これに対し「とはいえ歯車が一個なくなっても機械は動かなくなるので、歯車1つ1つが大事なんだ!」って言い方もありますよね。

20代の頃「これは良い表現だなぁ」って思ってたんです。

でも、今となっては「歯車になってはならん」って思うんですよ。

自分という歯車が1つ欠けただけで全体が動かなくなるような、そんな働き方は自分に何かあった時まわりに迷惑かけまくるし、何より休めないですよね。

30歳になった頃からそんなことをよく考えるようになってって「おれは歯車の以下になろう、以下になろう」と思いながら働きました。

ぼくなんかいなくても、仕事は回るしそれくらいのほうが健全な世の中だと思うんですよ。

なので、みんなができるようになった方がいい仕事はなるべくマニュアル化とシステムづくりをしつつ「やらなくてもいいけどやるといいかもしれない」ってことをあんまり負担にならないようやってく、みたいな、そんな働き方を心がけてました。

今、本当に仕事が楽しくて、日曜の夕方とか全然憂鬱でなく、翌日に向けてワクワクしてるようなそんな感じです。

本音を言うと、たまにTwitterで愚痴ってるとおり、金曜夜・土・日と子どものスポ少3連発が毎週来るので、ぼくは今、金曜の昼くらいから憂鬱な気分になり、日曜の夕方になると元気を取り戻すのがルーティンになってます。

「やったー!明日は仕事だぜぇ〜!!」みたいな。

世の皆さんが言う「仕事行きたくねぇ〜」とか、サザエさんシンドロームの気持ちが金曜の夕方になると身に沁みます。

クレしんシンドロームですかね?

多分これで仕事もしんどかったらぼく病んでます。

なので、ほんと仕事に恵まれたと思います。

とはいえ、これも20代の頃のぼくと同じだと思うんですよ。

ぼくは、10年かけて仕事が楽しくなるよう仕込んでいったんです。

仕事でできたんだから、家庭でできないわけがない!

子どもと同じユニフォームを着て、子どもの活躍を我がことのように喜べるお父さんに憧れつつ、なんとか週末が楽しくなるように頑張りたいなと思っている今日この頃です!

オリンピックを始めスポーツ番組を一切見ない上に、「絆」で一丸となり「チーム〇〇」とか「〇〇ファミリー」とかいったものに知らぬ間に属することが苦手なぼくには非常に険しい道のりですがやるしかない…!!

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そしてお絵描きもしたい…