前回、とあるイラストレーターさんが「イラストは好きで見るわけじゃない人にも良いなと思ってもらわなければいけない」的なことを言われてハッとしたって話に関連する話をもう一つ書こうと思います。
ぼくの描いてるイラストって、いわゆる「萌え絵」の系譜にある絵柄が好きな方、もしくは嫌悪感のない方にしか響かないと思うんですね。
そーいう意味でいうなら、萌え絵は広義なイラストというよりは「ぼくはこーいうのが好きなんです!」っていうアートに近いかもしれないなーって思ったんです。
そして、この話を下敷きにしてみると、昨今のフェミニズムや、ご当地キャラの性的搾取の議論も、納得がいくなと思うところです。
一部の人が好きな絵柄を誰でも見られる場所に登場させたら、そりゃ怒るわな、と。
まぁでも一方で、黒田清輝の「智・感・情」論争の頃から、もっと言えばミケランジェロの「最後の審判」やブロンティーノの「愛の寓意」などなど、見たくない絵を誰でも見られる場所に掲げて大問題になるって例はいくらでもあるので、そーいう意味では別段人類の歴史は変わってないかもしれないし、「あーあー、これ、あの話みたいなやつね!」と安易に昔と結びつけるのはおっさんの良くないくせかもしれません。
ちなみに、ぼくがネットではこういう絵柄のイラストを描くようになったきっかけは、ぼくがネットに触れるようになった20歳の頃に、ぼくがアクセスしたサイト(当時はページと呼ぶことの方が主流だったと思う。)(これは「ホームページビルダー」が流行ってたことが原因だって説がありますね)で、こういう絵がすごい評価されてて、承認欲求から自分も進んで絵柄を寄せて行って、その時の喜びが染み付いてしまってるからなんですよね。
刷り込みみたいなもんです。
それに、ぼくはこの萌え絵って浮世絵の美人画に似てるなーって思うんです。
大きな型があって、その中でそれぞれの絵師が個性の片鱗を見せるじゃないですか。
そーいうのも、面白いなぁって思うんですよね。
大胆な誇張や単純化でちょっとセクシーな表現をするところも、春画に通じるところがあるようにも思います。
こーいう下世話なところもますます、現代の浮世の絵のように思えてきます。
とかなんとか言う一方でぼくは、竹久夢二や上村松園みたいな絵も好きなので、なんというか、ネットに触れるようになって萌え絵を描いたらめっちゃ評判が良くて楽しかった思い出を下敷きにしつつ、そこに大人のエレガンスさみたいなのをうまーくブレンドさせたような、そんなイラストが描けたら良いな〜って思ったりしながらお絵描きしています。