マーガリンナイフのギザギザ

ぼくは朝食はパン派です。

食パンを焼いて、マーガリンを塗って食べます。

我が家のマーガリンを塗る際に利用するバターナイフ(マーガリンなのにバターって日本語ムズカシイデスネ)は、マーガリンが切りやすい用にギザギザがついているのです。

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が、上記の通り片方だけなんですね。

一方ぼくは、以前ブログにも書いたことがあるのですが左利きでして、このギザギザの恩恵に預かることなく、また、ナイフからしたらせっかくの性能を無視された状態で使われてるという、互いにlose & loseな関係となっています。

ある種、逆刃刀を携えた不殺の流浪人みたいな哀愁すら感じるなと思ってしまいます。

これも昔ブログで書いたような気がするんですが、子どもの頃左手で字を書いたり箸を持ったりすると一緒に暮らしていたばーちゃんにパシンと手を叩かれてました。

ばーちゃんは「筆と箸は右手で持たないと親の教育が疑われる」とよく言ってましたた。

ぼくが思い出せる最古の記憶の中でもぼくは左手にクレヨン持ってお絵描き楽しんでたら突然ぱしんと手を叩かれていたし、鉛筆と箸を右手で持つようになってからも、上記の言葉を引き合いに孫を矯正完了できたことを誇らしげに何度も語ってました。

とはいえ、別にばーちゃんを恨んでるとか、そーいうことはないんですね。

大人になって、ぼくもそれなりに視野が広くなったので「そー言う時代だったんだろうなー」と思ってます。

ちなみにばーちゃんは生け花の先生もしてました。

ある時、一緒にテレビを見てたら、とある前衛的な生け花の先生が、小学生に生け花について興味を持ってもらうために、リサイクルに出されたランドセルにお花を活けたって話が紹介されました。

それを見てばーちゃんは「あんなものは生け花ではない!」とテレビに向かって大激怒しました。

ぼくは、子どもにとって分かりやすい素敵なことだと思って見てたのでびっくりしました。

世の中にはいろんな考え方があるんだなー、と。

10年くらい前だったと思うんですが、名だたる刀剣を擬人化した企画が大ブレイクして、日本中の名工の作品を収蔵した博物館の来館者数が跳ね上がった時期がありましたが、あれも刀鍛冶の皆さんからは完全に総スカンだったという話も聞きました。

ただぼくにとっては、こういった経験が、おそらく、ぼくが美術の自由な世界を愛するきっかけになったと思ってるし、おかげでルネサンス絵画も萌えーなイラストも、同じ土俵の上に乗った絵だと思えるようになったと思ってます。

また、ばーちゃんは晩年生け花の道具にいっさい触れませんでした。

若い頃のようにできない自分に耐えられなかったのだそうです。

それはそれで高潔なことだと思うんですが、やはりぼくにとっては「おれは死ぬまで緩くお絵描きを楽しみたいな」と思うきっかけになったのでした。

そーかんがえると、普段何気なく口から垂れ流してる言葉が子どもにどんな影響を与えるのかって思うとビビりますなぁ。

なんてことを思いながらマーガリンを塗ってパンを食べました。

ぼくちゃん食パンおいちいでちゅ〜

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