20年前のデサイン

何度かブログで語ってる通り、最近ぼくは紙に描くのとほぼ同じ感覚で液タブでお絵描きすることができるようになりました。

こうなってくると、画材を広げたりしまったりしなくていいデジタルは本当に楽ちんで、15分くらい液タブの前に座る時間があれば何か絵を描くって生活を送っていて、以前に比べてかなりQOLが上がっている気がします。

うむ、いいことだ。

ゴールデンウィークの頃から描いてるこちらのイラストも少しずつ仕上がってきていて達成感を感じたり、思い描いている完成図との差にうーんうーんと頭を悩まされたりしている今日この頃です。

ぼくはGAMEHA.COMさんとこのオリキャラを担当するようになってから扉絵を定期的に描かせてもらっているのですが、お役目をいただいたのが2003年のことなので、そろそろ20年が見えてきました。

当時「誰が描いてもこのキャラってわかるようなデザインにしたいな」と思ってこのジュリアというキャラを考えました。この頃はお絵かき掲示板文化が百花繚乱で、たくさんの絵描きさんにジュリアを描いてもらって、本当に楽しかったです。

ぼくのMacの中には、当時描いて下さった方々の画像データのコピーが今も残っています。もし見てみたい方がいらっしゃいましたらまたいずれ何処かの居酒屋で。

しかし、考えてみればこのジュリアさんのデザインももう20年前のデザインってことですね。

つまり、当時仮面ライダークウガに夢中になっていたぼくが、藤岡弘ライダーを見るようなものです。

今の若い方の感覚でいえば、もう古臭いデザインだったりしないかなー?とちょっと心配になったりもします。

今風のファッションにするなら、たとえばこんな感じですか?

は!!

おっさんが若い子のファッションに興味を示すってイタいな!?

そしてなんか、二次元みがないかもしれない。

最近、フォトバッシュにハマってるんですが、やってみて思ったのが、ジュリアとか、もう1つマスキャラ描かせてもらっているApple Kyoのキャラって現実世界の景色から浮くんですよね。

ぼくがフォトバッシュの加工をうまく処理しきれていない以上の、デザイン的な何かだと思うんですよ。

Apple Kyoの方も、なるべく少ない要素で誰が描いてもApple Kyoのキャラになるようデザインしたつもりなんですが、もっと現実離れしたデザインのキャラが普通に登場してても違和感を覚えない現代日本を舞台にしたアニメとか、普通にありますよね。

そう考えると、聖地巡礼ができるようなご当地を舞台にしたアニメって、こう、アニメキャラと現実風景の調合具合が、神業的超絶技巧なんだなーと改めて実感します。

プロってやっぱすごいですね!

この件についてもやはり、自分のペースで、それこそ液タブに慣れたみたいに楽しみながらスキルアップして行けたらいいなーって思います。