ヘロヘロの哲学

最近、なんか仕事が忙しいです。

なのでブログに載せるイラストもラフです。

で、何でこんなにバタバタしてるんだろうなー?と思って、あらためてiPadのToDoリストに並べてみると、自分がやりたくてやってることばっかり抱えてました。

ゲーム好きの方にしかわからない例え話をすると、自分が冒険者的な立場で、ギルドに行って、面白そうだなって思った依頼に片っ端から手を出してしまった、みたいな。

そして、どのイベントも早く続きが見たくてついやり続けちゃう。

で「ゲームは1日1時間でしょ!」って怒られるみたいな感じだなー、と思ってます。

iPadのToDoリストで管理するから余計にゲームっぽいのかもしれません。

同僚や後輩に「大変そうですね」「忙しそうですね」と声をかけてもらいます。

ありがたいなって思います。

確かに気がついたら、体はクタクタで頭もショートしそうな状態になってるんですけど、「嫌だなー」って感じることは少ない、というかほぼない状態です。

いいことかもしれないんですが、なんかちょっとバランスが悪い気がしてます。

疲れてるのにノーストレス。

家にいる時も、明日はあれしてこれして、来週にはそれしてなにして、あ、そのために今夜にでも寝る前にウンヌンカンヌンやってしまおうか、みないなこと最近ずっと考えてます。

楽しいのに体がヘロヘロ、キメてる人みたいな、これもワーカーホリックの一種か?

気づいたら体を壊してた、みたいなことにならないよーにしないとな。

というわけで、こうやってブログで現状を書き起こしてみて、冷静に自分を見直してみようかと思った次第です。

1日の大部分を費やす仕事が「大変」とか「辛い」状態ってのが、ぼくは嫌だったんです。

「仕事嫌だなー、なので…」という気持ちの後に「辞めよう」じゃなくて「楽しくなるようにしよう」というマインドになれたことは自分でも偉いと思います。

ぼくの仕事での最優先事項は「自分が楽しい」なんです。

滑車が回るの楽しくて、ひたすら走り続けてしまうネズミみたいな状態にですね。

あれ?

ネズミは楽しくて滑車を回すんでしたっけ?

本能的なものでしたっけ?

ぼくらは自分が楽しんでるつもりになってるだけで、ただ単にDNAに書き込まれたプログラムという鎖に縛られてるだけなんでしょうか?

ぼくを駆動させてるプログラムは、やりがいとか、承認欲求?

うーむ、うっかり哲学の森に迷い込んでしまいました。