飲み会がなくなったけど人間関係は希薄になってない(と思ってる)

すごいことに気がついてしまいました。

新しい絵の技法書が欲しくなって、でもちょっと高いのでどうしようかなー?って思ったんですね。

でも、その額って、コロナ前には飲み会に行って「2次会にも行きましょうよ〜」って言われてついてって、電車で帰ったら余裕で越える額なんですよ。

4時間くらいで、アルコールとカロリーに代わってた額ってことです。

「あれ?これ買った方が得るもの多くね!?」って思ってしまったわけです。

よく、乾杯の挨拶で偉い人が「今夜はしっかり英気を養いましょう!」とか言ってましたが、元々少食でアルコールも弱いぼくは、ほとんど養うものがなく「まぁそこそこ楽しいから良しとするか」くらいのもので、だったら絵の新しい知見を得る方がよほど英気な気がするのです。

震えました。

コロナ前に書いたどこかの記事で「職場の飲み会、2回に1回のペースで参加してる。こうすることで出費を抑えられるし付き合いの悪い人ってイメージも付かないのです!」ってドヤ顔で書いてた記憶があります。

職場の飲み会がコミュニケーションの潤滑油になってるって実感もありました。

しかし、オフィシャルな飲み会がなくなって3年、今の職場が風通しが悪くなったか?って聞かれると「特に変わってなくね?」って思うんですよね。

別に人間関係も希薄になってないし、仲の悪い人は飲んでも飲まなくても仲の悪いままです。

今のとろこ「そろそろ良いかな〜」ってたびに第○波みたいなのが来るのでオフィシャルな飲み会は開かれていないのですが、いよいよ人類が完全にコロナをインフル並みに抑え込むことに成功して、職場の飲み会が再開したら、果たしてぼくは行くだろうか?

もう行けない体になってしまってるんじゃないか?

そんなことを思ってしまいました。

最近、自分が他人の陰口に対する耐性がものすごく低くなってることに気がつきました。

昼休憩とか、日中のちょっとした時間に誰かが誰かの愚痴や文句を言ってるのを聞くのが最近耐えられなくて、スッと席を外すようになりました。

二次会がなくなって、カオスに身を置く機会がなくなったことで耐性が衰えてしまったんだろうなぁ。

そういった意味では、飲み会は現代社会を生きていくための修行の場でもあったのかもしれません。

このままではぼくのコミュ障に拍車がかかりそうです。

しかし。

ならばいっそ、むしろ拍車をかけて自宅の書斎にこもって好きなことをしてればいいのではないか?

そんなふうにも思うのです。

まったく、お絵描きが楽しいぜ!

とかなんとか考えてたら、うっかり買っちゃいました。

この本、読み物としてめっちゃ面白いです。

1ページずつ味わいながら読み進めてるのですが、読み終えたらまた感想書こうと思います。