ちょうど2年前の今頃ですが、コロナで子どもたちの学校が長い長い休みになりました。
当時、長男は小学校4年生で、学年末のテストラッシュだったり、クラス解散のお楽しみ会の準備をしてたのが全てなくなったことを喜んだり残念がったりしてましたが、家でゲーム三昧になれたことによる喜びが勝っているようでした。
学校が再開したのは6月だったので、学年も1つ上がり、クラスも新しくなってたようですが、それまで頻繁にあった、授業参観や家庭訪問といった親と学校が接続するイベントが全て無くなりました。
親が学校に行く最大のイベントである運動会は、学年ごとに1時間だけ開催される体育参観日になり、学習発表会は「1名のみ入場可」というスタイルになりました。保護者懇談もあったのですが、子どもが所属しているスポ少が学校の施設も借りる絡みから、先生への挨拶がてら奥さんが行っていました。
お恥ずかしながらぼくは長男の5年生、6年生の担任の先生の顔が朧げというか、ほぼ知りません。
一方で「残念でしたね?」と言われたらそうでもなく、出席してても身長が179のぼくは前の方の後頭部越しにビデオカメラを回すことができるため、常に子どもの行事はモニター越しに見ていて「これは出席しても家で後から見ても見てるものは一緒だな」と思ってたし、かつて1番目と2番目が同じ保育園に通ってた時期があったのですが、その保育園がかなり大きくて、運動会や生活発表会は丸一日拘束されるものの、自分の子どもが活躍する時間は1時間に1回5分とか10分ほどで、残りの時間はよく知らない他の学年の子どもをぼんやりと、でも笑顔を絶やすことなく眺めていないといけない時間だったことを思えば、むしろギュッと濃縮されてる感じがして「これはこれでいいなぁ」とか思っていたのでした。
そんなわけで、長男の5年生6年生としての小学校での姿をほぼ見てないぼくは、いまだに「体だけ大きくなった4年生」のようなイメージが拭えずにいたことに、このたび彼が小学校を卒業するという事実を迎えた時に気がつきました。
すごいな、自分の小学校6年生の頃の記憶なんて、もう鮮明に覚えてる時期ですよ。
そんな歳になってたのか。
自分の小学校卒業の時期の記憶といえば、ちょっと大人に近づくことへのワクワクと、知らない世界への不安でフワフワしたような心持ちで、そんな落ち着かない気持ちを忘れたくて、学校から帰ったら毎日クラスの誰かと遊んでいました。
長男は誰かと遊んだりとか全くないのですが、スプラトゥーンやLINEは毎日欠かさずやってるっていうかそれしかしてないので、ネット上で友達と繋がってるのでしょう。
家庭科の授業が始まる時期とコロナ禍が重なったせいで、調理実習も経験してないし、修学旅行も結局一日遠足になってしまった小学校時代の卒業アルバムは、マスクの子どもたちがいっぱい映っていましたが「この頃みんなマスクだったよねー」とか大人になって久々に会った友人と酒飲みながらヘベレケになって語れるようになってるといいなと思ってやったりしました。
そして中学生になったら『月がきれい』みたいな、こっちが羨ましくなるような恋もしてほしいなと思いながら、今夜もラクガキを楽しむぼくでした。