日々の生活は、死ぬまでの暇つぶし。

なんか、ネガティブなタイトルをつけてしまいましたがわりとポジティブなお話です。

日々の生活は死ぬまでの暇つぶしだと思うと、毎日やってるいろんなことが、全て「死」という絶対的なものの前に同列の価値で並んでしまうことに、マインドフルネス瞑想をしてて気がついたんです。

これはすごい発見なんじゃないかと思いました。

楽しみにしていた漫画の新刊を読むことも、面倒なクレームの対応も、全ては暇つぶしのための同価値なイベントでしかないわけです。

そう考えると「こんなことやってて意味あるんだろうか?」とか「こんなことしてて時間がもったいない!」とか、そういった考え方が全て不要になるわけです。

人生は、うっかり不要なものを買うこともあれば、おいしいご飯を食べることもある。

でも、それら全てが等しく経験なのだと思ったら、何も無駄なことはないし、全てが大事な暇つぶしってことになります。

こうやって2日に1回ブログを更新し続けることも、毎晩寝る前に30分ゲームをやってることも、毎朝起きたら必ずIngressをするために近所を徘徊することも、何1つ無駄なことはないわけです。

会議で話を拗らせるおっさんも、自分のことばっかり語って仕事の手を止めてくるおばちゃんも、ぼくの人生の大事なイベントです。

コスパとかタイパとか、そんな言葉もアホらしくなってきます。

そもそもよく考えたらぼくの大好きな芸術なんて、無駄の塊でした。

自分にとってはとっても大事なものですが、世間の大部分の人には無駄なものです。

そんなものに心を奪われている時点で、ぼくはコスパとかタイパとかいってる場合じゃないのかもしれません。

この考え方に気がついて、何が1番楽になったかっていうと、土日祝日がスポ少で潰れてしまうことに対する辛さが軽減しました。

今のところかなり心の負荷が軽くなったので、この気づきは、大事に大事に育てて行きたいなって思います。

そして確か、人生は死ぬまでの暇つぶしって、GO (id:GK_GK21)さんがいつかのブログでおっしゃってて、その時はうまく飲み込めなかったのが、最近こう思えるようになってきたのでした。

そう考えると、すでにそう思ってらっしゃったGOさんはすごいなーと思うし、そういう考えに至れるマインドフルネス瞑想もすごいなーと思うし、ブログはいろんな話が聞けて楽しいなーと思います。

(GOさんじゃなかったらごめんなさい)