ホックニーさんの研究による絵画の進化

今日のタイトル、AIに考えてもらってみました。

そんなぼくは、自称日曜画家を名乗りながら「今頃読んだのかよ」と言われそうな本を最近手に取って衝撃に震えています。

なんの本かというと、ホックニーという画家が、絵を描く際にいつから、いかに絵描きたちがカメラを利用してきたか?について個人的に研究した成果をまとめたこちらの本です。

ぼくの今まの知識では、フェルメールさんくらいの時代にカメラ・オブスクーラが開発されて、そのあたりからかなー?と思っていたのですが、ホックニーさんの研究によれば、ルネサンスの時代にはすでにあったというのです。

では何で記録に残ってないかといえば、画家にとって画法は言ってみれば料理人にとっての秘伝のレシピみたいなものですし、光学技術は当時はうっかり黒魔術と間違えられて異端審問会にかけられかねない技術だったからというわけです。

これはまったくなるほどです。

というわけで、ホックニーさんはたくさんの巨匠の絵画作品を「これは本当に目視だけで描けるものなのか?」と検証していってるわけなのですが、その過程がとってもエキサイティングで、これまで「歴史に名を残すほどの巨匠なら描けるんだろうなー」とぼんやり思っていた数々の超絶技巧の名画に対して「カメラの映像を資料に描いてたのかも?」と思わず疑惑の目を持ってしまう本なんです。

「この絵はこんなに正確無比なのに、ほとんど描き直した跡がない、一発描きでこんなに描けるものなのだろか」って感じで切り込むホックニーさんの問いかけに、今まで何の疑いも持たずに見ていた西洋絵画の見え方が変わっていってクワクしました。

顔、体、背景と別々に写し取ったものを画面の中に再構成したのでは?って作品の紹介とかもあり、それってキュビズムが登場する以前のキュビズム的な発想だし、いまぼくらがデジタルで簡単にできてしまうコラージュ的な発想でもあるわけじゃないですか。

ホックニーさんがこの本で取り上げている作品も、コラージュの一種となるのか、それとも自分の手を動かしたらコラージュでも絵画作品なのか、手でコラージュしたらアートだけど、生成AIがコラージュしたらアートじゃないのか、ではコラージュと絵画の境界はどこなのか(皿とコップの境界はどこなのか的な)、そんなことを考えるとワクワクしてきて、だれかアート好きな方とお酒を飲みながら語り合いたくなります。

ぼくも最近は外出時にいいなと思ったものを写真に撮って、それ見ながら落書するばっかりです。